奈良文化財研究所に関するさまざまな情報を発信します。

コラム作寶樓の最近のブログ記事

彩色文化財保存へのアプローチ

2017年6月   みなさん、日々、色を意識して過ごしていますでしょうか?  色のない世界を想像してみたらどうでしょう?私たちの日常に広がるさまざまな彩色は、元となる素材に手を加えられたもの、つまり「make・メイク」されたものです。「色をMakeする」こと、それは例えば、顔を装い飾る「化粧...
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坂田寺跡出土の銭貨

2017年5月   奈良県高市郡明日香村にある坂田寺跡は、鞍作氏の氏寺で、飛鳥を代表する尼寺とされる坂田寺の遺跡です。今回は、ここから見つかった地鎮の銭貨をご紹介しましょう。  1986年の発掘調査でみつかった土坑SK160からは、合計291枚もの銭貨、金箔・琥珀玉・ガラス玉などの玉類、銅鈴...
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旧石器人は"粉もん"を食べたか?

2017年5月   大学院在学中から、ずっと山東、山西、河北、河南といった中国華北地域で調査をしています。この地域の主食は、伝統的に小麦粉やアワなどの雑穀の粉から作った食品(粉食)です。2週間にわたって華北各地を回って調査をした際に、最後に北京に戻ってくるまで、とうとう一粒の米も食べなかったこ...
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起きあがる古代の記憶

2017年4月   墨で文字のかかれた木札を木簡(もっかん)と呼びますが、文字を消すために木簡の表面から刃物で薄く削りとられた細片のことを、とくに削屑(けずりくず)と呼びます。1cmに満たないほど小さなものも多い削屑ですが、表面に少しでも文字が残っていれば、立派な文字資料です。奈文研の研究員た...
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日本庭園史話

2017年4月   森蘊という人物はご存知ですか?  ご存知ない方はまずその名前の読み方に悩まされるでしょう。蘊蓄の「蘊(うん)」と書いて「おさむ」と読みます。確かに、珍しい名前です。  森蘊は1905年、東京立川市に森家の6男として生まれました。兄弟も順番に秀、喬、禎、榮、實と、みな一文...
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空から眺める北山杉の里

2017年3月   景観研究室では、北山杉の里である京都市北区中川北山町(中川地域)を舞台に、平成26年より受託事業として「北山杉の林業景観」の調査研究をおこなっています。  調査研究の一環で、小型無人航空機(通称:ドローン)による空撮を実施しています。上空から北山杉の林業景観を眺めてみると...
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藤原宮の幢幡遺構を読み解く

2017年3月   2016年夏、藤原宮大極殿院の南門の前から、大宝元年(701)の元日朝賀の儀式で立てられた7本の幢幡(どうばん)の遺構が見つかりました。『続日本紀』はその儀式の様子を次のように伝えています。  「天皇、大極殿に御(おは)しまして朝(ちょう)を受けたまふ。その儀、正門に烏形...
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その先の「記録」へ

2017年2月   「最近は少なくなったけど、今でも奈良公園や春日大社の近くに住んでいる人は、近くのスーパーに行くときは鹿に乗ります」   「か、からかうんじゃない」   「本当です。奈良公園のあたりに行ったら、いくらでもマイシカに乗っている人を見かけます」  平城宮跡と奈良公園界隈を舞...
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上を向いて歩こう

2017年2月   昨年7月に奈良国立博物館から奈文研に異動したのに伴い、職場が平城京の外京だった奈良公園から平城宮跡に変わりました。奈良時代の官人の気分を想像しつつ朝日・夕日に照らされた大極殿や朱雀門を見上げながら職場と自宅を行き来しています。  建物を見上げて最初に目につくのは屋根ではな...
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入所当時の思い出

2017年1月   長らく研究所にお世話になりましたが、今年度末で退職となりました。作寶楼の趣旨とはやや違うかもしれませんが、ちょうどこの時期に執筆順が回ってきたので、思い出を語ることをお許しください。  私が研究所に入ったのは1981年4月でした。今でもそうですが、新人は平城宮跡発掘調査部...
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甘樫丘の穀物倉庫?

2017年1月   私たちが普段遺跡を発掘していると、土器や瓦、石器、金属器、あるいは木器などの遺物が見つかることは、皆さんご承知の通りです。これらの遺物は肉眼でも目に付きやすいので、現場において出土位置や層位を記録して回収します。ところが、こうした遺物以外にも、目につきにくい微細な遺物から、...
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古写真・発掘のススメ

2016年12月   みなさんのお宅には古~い写真が眠っていませんか?  押し入れの奥底から、おじいさんとおばあさんの若かりし頃の写真が。あるいは何でもない近所の風景写真が。それはおそらく保存状態も良くない、古びた紙焼きされた写真たちでしょう。でも、もしそんな写真が出てきたら、今一度よく観察...
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SMAP

2016年12月   Site(遺跡) 奈文研が恒常的に調査研究をしている遺跡は、平城宮・京跡と藤原宮跡、それに飛鳥の諸遺跡です。いずれも飛鳥時代から奈良時代の遺跡で、文献記録が残されています。発掘成果と文献記録は車の両輪。互いに補い合って、さまざまな画期的成果をあげてきました。明日香村の飛鳥...
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「あめのはぶき」と鹿の皮

2016年11月   以前、このコラムで鍛冶屋さんのお話を書いたことがあります。今回はそれに関連して、「天羽鞴(あめのはぶき)」という「鞴(ふいご)」のお話をしようと思います。鞴というのは送風装置のことで、鍛冶屋などで、鉄を真っ赤に熱したり銅を熔(と)かしたりできるように、炉に空気を送り込んで...
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増田町の民家

2016年11月   建造物研究室では2014,15年度に秋田県横手市増田町の重要伝統的建造物群保存地区に所在する2棟の民家の詳細調査を実施しました。秋田県内陸南部の横手盆地は日本有数の豪雪地帯として有名です。  増田町は中世の増田城下町に端を発する集落で、増田城の廃城後も周辺の物資の集散地...
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木簡の再利用ここにきわまれり

2016年10月   木簡にはさまざまな形のものがあります。中でも、え!、これも木簡?、と思わせる代表格は、軸の木簡(写真1左)でしょう。どこに文字があるか、おわかりでしょうか?  円柱状に加工された白木の軸で、文字は両端の直径20㎜足らず(この木簡はまだ太い方)の木口(こぐち)に書かれてい...
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灰色文献

2016年10月   灰色文献と言っても、本が灰色なわけではありません。書店で簡単に購入できたり、多くの図書館に所蔵されたりしていて、誰でも読むことができるのが白色文献、関係者以外まったく入手できないか存在自体が公表されていない文献を黒色文献と呼ぶ時に、その中間にあたるのが灰色文献です。  ...
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平城宮跡東方官衙の檜扇(ひおうぎ)

2016年9月   平城宮の東側には奈良時代の役所の区画が南北に連なっていた地区があります。平城宮跡東方官衙地区と呼んでいるこの範囲のうち中央よりやや南の区画を2008年12月から2009年2月にかけて発掘調査したところ、大きな楕円形の土坑が見つかりました。この土坑は東西約11m、南北約7mの...
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四分遺跡と石庖丁

2016年9月   藤原宮跡には長閑な田園風景が広がり、私も通勤の傍ら、四季折々の姿を目にしています。代掻きや田植えといった作業風景、秋には黄金色に染まる稲の生長が四季を感じさせてくれます。使う道具こそ異なるものの、こうした情景は2000年以上昔の弥生時代と同じだったのでしょう。興味深いことに...
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最古級都市のモデル

2016年8月   日本で最古級の都市(都城)といえば、藤原京のことですが、今日はユーラシア大陸のずっと西、私が長らく研究してきた西アジアのお話です。  西アジアというと、乾ききった沙漠とティグリス・ユーフラテス両大河のイメージでしょうか?しかし、森林が比較的卓越した肥沃な土地もまた、東地中...
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平城宮跡を体感する

2016年8月   みなさんは、30年前の平城宮跡をご存じでしょうか。この頃は、内裏周辺のツゲの植栽による柱位置の表示、第二次大極殿の基壇の復原など、整備もまだ部分的で、大半は広い野原でした。近年では、発掘調査成果の蓄積を受け、兵部省・式部省では柱および壁や塀などを立体的に立ち上げる半立体復原...
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空地がいっぱい?まだまだ未知の平城宮

2016年7月   みなさんは、平城宮の宮城図をご覧になったことはあるでしょうか?(まだの方は当ホームページからダウンロードできますのでどうぞ)宮城図は奈良時代前半のものと後半のものがありますが、どちらも描かれている建物の数が少ないことにお気づきになるでしょう。  …平城宮は建物...
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2016年7月   博物館や美術館を訪れると、解説映像を目にしたり音声ガイドを使ったりする機会があると思います。博物館施設では、それらのデジタル技術を用いたコンテンツ等を「デジタルメディア」と呼んでいます。近年、世界中でデジタルメディアを取り入れたユニークな展示が行われており、博物館施設になく...
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古墳時代の刀の楽しみ方

2016年6月   昨年は流行語大賞に「刀剣女子」がノミネートされるなど、日本刀ブームが世を賑わせました。博物館の日本刀展示コーナーにも多くの若い女性の姿が見受けられ、「古墳時代の刀剣」を主な専門分野とする筆者は、刀剣への注目度が上がることを密かに喜んでおりました。ところが悲しいかな、筆者が研...
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木簡の削りくずと欠けた文字

2016年6月   鉛筆で書いた文字を消したいとき、消しゴムを使って消しますよね。墨で書く木簡でも、一度文字を書いてしまっても消すことができます。文字のある部分を小刀で削り取り、新しい面を出して再利用するのです。消しゴムのカスは黒くまるまってしまうだけですが、木簡の消しカス=削りくずには文字が...
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東大寺正倉院宝物と中央アジア

2016年5月   東大寺の正倉院宝物といえば、美しく装飾された楽器や色鮮やかな錦などが思い浮かびますが、刀や弓矢など武器も伝わっています。ここでご紹介したいのは金銀鈿荘唐大刀という儀仗用の大刀です(図1)。正倉院宝物の台帳である国家珍寶帳には、唐大刀13口と唐様大刀6口の記載があります。唐大...
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瓦はお寺の履歴書

2016年5月   寺院や宮殿の遺跡を発掘すると、時期が異なる瓦が多く出土する場面に出合うことがたびたびあります。寺院をはじめ、瓦葺の建物は長い年月にわたって建っていたものが多く、修理などにともなって瓦も葺き替えられました。ところが、壊れない限り多くの瓦は再利用されるため、結果として新旧おりま...
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骨の標本が教えてくれること

2016年4月   博物館の展示で、昔の人々が狩りをして動物を捕らえている様子が紹介されているのを見たことはありませんか。そこではシカやイノシシのように、狩りの対象となった動物の種類が具体的に説明されていると思います。  遺跡からは、当時の人々が残した動物の骨が出土することがあります。これら...
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東と西の鏡

2016年3月   みなさんはどのような鏡をお持ちでしょうか?今の鏡はアルミニウムや銀を蒸着したガラスで作られていますが、以前は銅に錫を加えた青銅で作られていました。  中国では西周末(約3000年前)ごろに青銅製の鏡が登場します。鏡は円形で、姿を映す表の面はつるつるに磨かれていますが、裏の...
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1つの展示ができるまで

2016年3月   皆さんは、平城宮跡資料館の展示をご覧になったことはありますか? この資料館は、奈文研の約50年にわたる平城宮・平城京の発掘調査成果を、展示をとおして皆さんに紹介する施設です。開館日(原則 月曜日および年末年始を除く日)ならいつでも見ることができる常設展示のほか、子ども向けの...
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縞の間からみえる世界

2016年2月   言葉にはその国の文化をあらわす特徴が含まれています。その文化にとって重要だったものの名残が言葉として残っています。たとえば、牛はヨーロッパの言語圏では、雄牛、雌牛、子牛とそれぞれ区別してよんでいます。また、アラビア語圏でも、雄ラクダ、雌ラクダ、若いラクダ、大人のラクダ、出産...
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灰汁(あく)なき探求

2016年2月   「石灰」「草木灰」「温泉」、この三つは一見すると何の関連もないように思えますが、共通するキーワードがあります。「アルカリ」です。  アルカリと聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?寒い季節にゆっくりとあたたまりたい温泉でしょうか。あるいは年末に大掃除された方は、洗剤かも...
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2016年1月   地震、雷、火事、親爺・・・最近めっきり聞かなくなったことばですが、世の中で特に怖いとされているものを語呂よく順に並べた慣用句です。この「親爺」、実は台風に相当する大山風(おおやまじ)や大風(おおやじ)が元だったという説もあり、自然災害の怖さを並べたのか、はたまた昔の親爺の怖...
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日本の漢字、中国の漢字

2016年1月   同じ漢字文化圏に属する日本と中国ですが、同じ漢字が違う意味で使われることが往々にしてあります。日本の「手紙」が中国ではティッシュ、あるいはトイレットペーパー、「湯」が中国ではスープ、「はしる」の意味の「走」が中国では「ある(歩)く」の意味であるといった具合に。実は、日中にお...
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古代の木簡でよく使われた漢字

2015年12月   古代の人が書いたもの、といえば、何とも難解なイメージがありませんか。しかも、飛鳥藤原京や平城京の時代には、まだ今のようなひらがなやカタカナがなく、すべて漢字で、都で発見される木簡にも、たくさんの漢字が書かれています。そんな世界に飛び込むには、漢字の勉強での苦い思い出がよみ...
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瓢箪から「ひしゃく」

2015年12月   最近は、神社や仏閣の手水舎(ちょうずや)等でしか見ることがなくなってしまった「ひしゃく(柄杓)」ですが、柄杓の名前の由来は、瓢箪の別名、「ひさご」からきているそうです。ひさこ…ひさく…ひしゃく、確かに似ていますね。もともとは、「ひさご」を刳り抜...
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石を割る

2015年11月   現代日本では、建物の基礎や河川の護岸など堅牢で大量に供給できる資材としてコンクリートを用います。型枠に流し込めば自由自在に形をデザインすることができ、今日の土木工事になくてはならない存在です。  コンクリートが普及する以前は、石材を用いました。必要量の石を切り出し、一石...
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シンメトリーなはずなのに

2015年11月   人間をはじめ鳥、魚、虫など動物の身体の形は、鮃(ひらめ)や鰈(かれい)などの例外はありますが、基本的には背骨などを軸にして左右対称です。そうなった理由はわかりませんが、やはり構造的に安定するのでしょう。デザインの世界ではこれを「シンメトリー」と呼び、紀元前から現代に至るまで...
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続けたい庭園史の研究

2015年10月   日本庭園の歴史の研究を30年以上続けてきました。当初、京都市文化財保護課に勤務していたときには、文化財行政に従事するかたわら、おもに近代京都の庭園について勉強していました。1987年に奈文研に入所してからは、平城宮跡や飛鳥・藤原宮跡の発掘調査に携わったため、発掘調査の成果...
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「ゆ」を掘る

2015年10月   温泉は命の洗濯。老若男女一度は、温泉につかり、リフレッシュした経験があるでしょう。環境省の調べでは、2014年3月末現在3,169もの温泉地が日本には存在し、世界有数の温泉大国です。  では、いつ頃から日本人は温泉に入浴していたのでしょうか。『日本書紀』『続日本紀』『万...
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尻尾は1つか2つか!?

2015年10月   鴟尾(しび)と聞いて、すぐに形を思い描ける人はどれくらいいらっしゃるでしょうか。鴟尾は、お寺などの瓦葺き屋根のてっぺん、鯱(しゃちほこ)と同じく大棟の両端にのっている角(つの)のようなものです。2010年に復原された平城宮第一次大極殿にも金色に輝く金銅製鴟尾がのっています。鯱...
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オーテのある島

2015年9月   香川県高松市の女木島は、高松港からフェリーに乗って20分ほど。瀬戸内海に浮かぶこの島の海岸付近には、「オーテ」と呼ばれる石垣があります。その石垣は、冬の季節風、さらにそれとともに吹き込む海水の飛沫から民家を守るために築かれたものです。島の独特の気象条件のなかで、暮らしを育ん...
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石神遺跡と遠隔地から運ばれた土器

2015年9月   古代において、饗宴は王権に対する服属を確認する儀礼であり、支配政策として重要な位置を占めていました。『日本書紀』斉明紀の中には、「甘樫丘の東の川原に須弥山を造って、陸奥と越の蝦夷を饗応した」という記載があります。他にも、「須弥山を象ったものを飛鳥寺の西に作り、都貨邏人を饗宴...
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あまちゃん2

2015年8月   前回のあまちゃん(2013年5月掲載)では、アワビをめぐって人と海との関わりをひもときました。今回はまた違った題材から、その歴史を考えてみたいと思います。  海と親しむには、ダイビングが近道です。意外なことに、ウミウシが女性に人気です。カラフルな姿に癒されるようで、カープ...
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古代人の手紙

2015年8月   学生の頃、あるテレビ番組で、私の母校のトイレットペーパーは硬い、と紹介されているのを観たことがあります。学内の業務で出る膨大な量の反古紙を利用して作っているから、ということでした。  古代社会でも、このあたりの事情は現代と同様だったようです。奈良時代の人びとは、用を足した...
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奈良時代における古墳

2015年8月   平城宮の北側には、大型の前方後円墳が多数存在しています。これらは「佐紀盾列古墳群」と呼ばれ、概ね4世紀後半から5世紀中頃にかけて築造されたと考えられています。奈良時代の人々も、これらの古墳を日常的に眺めていたと思われますが、当時の人々はこれらの古墳にどのような想いを抱いてい...
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平城宮の祥瑞

2015年7月   天は為政者の政治が良ければその褒美に祥瑞をもたらして徳治の証とし、悪ければ災害や日食月食などの異変をもたらして苛政に警告をする。為政者は不祥事があれば自らの不徳を恥じるのであった。そんな天人相関思想を奈良時代には大陸から受容していました。祥瑞には、甘露、慶雲、鳳凰、三足烏、...
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自然を使いこなした都市の営み

2015年7月   銀閣寺の銀沙灘、詩仙堂や南禅寺塔頭の枯山水庭園など、中世から近世にかけて京都でつくられた庭園には、「白川砂」と呼ばれる、白くきらめく砂が多用されてきました。一方、明治末頃から昭和初期にかけて、琵琶湖疏水からの水を利用して南禅寺界隈につくられた無鄰庵、碧雲荘、對龍山荘といった...
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木々をたずねて三千里

2015年6月   奈良と言えば東大寺の大仏。その大仏を収める大仏殿の大きさは、桁行(横幅)50.0m、梁行(奥行)50.5m、高さ46.4mで、世界最大の木造の建物です。東大寺大仏殿は奈良時代中期、天平宝字2年(758)に創建されましたが、この創建大仏殿は治承4年(1180)の平重衡の南都焼...
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古代瓦のコピーとエラー

2015年6月  私の出身地の北海道では屋根に瓦はほとんど使われておらず、大学に入学して関西に移り住んだ当初、家の外観の違いに驚いたことを覚えています。以来15年近くが経ち、さすがの私も瓦屋根を見るだけでは驚かなくなってしまいましたが、まだまだ瓦葺きの建物が多くなかった奈良時代には、十代の私が...
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どっちが近道?

2015年5月  「こっちが近道だよ」  「いやいや、こっちの方が近道だよ」  こういう議論をしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?  どちらのルートが近道なのか…普通は歩いてみるまでわかりませんが、最近はコンピューターを用いることで、ある程度の答えを導き出せ...
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庭園の記録

2015年5月  庭園は、石・草木・水をはじめとする様々な自然の素材が土地と一体となって構成される文化財であり、草木の成長や風雨による浸食などにより刻々と変化することを宿命としています。庭園の魅力が、季節や気象条件によって様々な姿を見せてくれるように、「変化すること」は庭園の価値そのものです。...
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「箸を使う」

2015年4月  最近、我が家では子どもが箸の使い方を練習しています。まだ慣れないため、上手に食べ物を掴むことができず、イライラしておかずを突き刺したり、あきらめて手づかみで食べたりしています。  現代の日本では、箸を使ってご飯やおかずを口に運ぶ食べ方が普通ですが、この習慣はいつからなのでし...
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「黒い虫の正体は・・・」

2015年4月 「黒い虫みたいなのが出た!」  2012年6月のある日、奈文研の木器整理室で聞こえた一言です。2009年冬、平城宮東方官衙の調査で、大きなゴミ穴や糞便遺構(ウンチがたまった穴)が見つかりました。その土をコンテナ2800箱分持ち帰り、2015年になった今も木簡などを見つける水洗...
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古社寺修理技術者たちの近代和風建築

2015年3月  春日野にたたずむこの建物、先々代の奈文研本庁舎です。奈文研が設立された昭和27年(1952)から、一昨年まで本庁舎としていた旧県立医科大学附属奈良病院の建物に移転した昭和55年まで庁舎としていました。昭和58年には重要文化財に指定され、現在も奈良国立博物館の仏教美術資料研究セ...
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6畳から古代をさぐる

2015年3月  6畳、約10㎡。部屋の広さの話でしょうか?  いえいえ、発掘調査の調査面積の話です。奈良文化財研究所では1,000㎡以上の広い調査区をもつ発掘調査もおこないますが、このように狭い面積の発掘調査もおこないます。小面積の発掘調査からどのようなことがわかるのでしょうか? 法華寺を例...
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飛鳥寺の美豆良(みずら)飾り

2015年2月  飛鳥寺は、崇峻元年(588年)に造営が始まった日本最初の本格的な寺院です。その建立にあたっては、仏舎利、僧、瓦博士や造寺工など様々なモノや知識・技術をもった人々が百済から渡来したことが『日本書紀』に記されています。そのことは、日韓で不断に進められてきた発掘調査によっても確かめ...
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2015年1月  「たこ焼き型鋳型」と呼ばれることもある特殊な土製品をご存知でしょうか。まさに現代のたこ焼き器のように片面にたくさんの穴のあいた板状の土製品で、古墳時代から奈良時代の遺跡から発見されています。この土製品、実はガラス小玉を作るための鋳型として使用されていました。鋳型といっても、と...
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藤原京の京域

2015年1月  奈文研が継続的に調査をおこなっている藤原京は、日本初の本格的な中国式都城です。  藤原京の中心となる藤原宮は約1㎞四方の広さで、その宮の周囲には条坊道路が碁盤目状に通っていました。  では藤原京は一体どのくらいの大きさだったのでしょうか?  実は、藤原京の大きさはまだわ...
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藤原宮内先行条坊の謎

2014年12月  ふしぎなことに、藤原宮の下層では藤原京に敷設されたものと同じ規格の条坊道路が通されています。藤原宮に先行する条坊という意味で「(宮内)先行条坊」とよんでいます。 分かりやすい例で見てみましょう。藤原宮大極殿です。下の写真は、大極殿の北側でおこなった発掘調査の様子で、大極殿...
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木簡の文字の向こう側―「采女」の合字―

2014年12月  私が所属する史料研究室の主な仕事に、木簡の解読があります。今とほとんど同じ漢字を使っているとはいえ、およそ1300年前の人びとが書いた文字を読み解くのは、なかなか一筋縄ではいきません。私が出会った中で印象に残っている木簡を1点、ご紹介したいと思います。  その木簡は、平城...
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文化財の展示

2014年11月  あなたは博物館・美術館で展示を見ることは好きですか?  私は、奈良文化財研究所の展示施設である飛鳥資料館で働いています。資料館の仕事は年数回行われる特別展・企画展の準備のほか、常設展示の管理、収蔵資料の整理、収蔵庫などの維持・整備、来館者の案内、文化財の調査・研究など、実に多...
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平城宮跡を横切る近代遺産

2014年11月  平城宮跡ならではの風景とは?と聞かれるとさまざまな風景が頭に浮かぶかと思います。そのひとつに平城宮跡を横切る近鉄奈良線の風景をあげる方も多くいるのではないでしょうか。私も初めて奈良を訪れた時、大和西大寺駅を出発して突然外の様子が変わり、車窓越しに平城宮跡がのびやかに広がる風景...
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鳥と信仰

2014年10月  古今東西、私たちの生活には多くの動物たちが関わっています。たとえば犬、馬、牛、そして鳥です。こうした動物たちは、家畜や食用としてさまざまな場面で私たちの生活を支えてくれています。と同時に、祭祀や信仰の対象にもなったのです。  鳥への信仰は古くから世界中でみられ、多くの神話...
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製作地をさぐる難しさ

2014年10月  遺跡から出土した遺物が、どこで製作されたのかは、常に研究者が意識する課題の一つです。その遺跡が工房などの製作址であれば別ですが、遺物は廃棄場所や使用場所から出土することが多いため、にわかに製作地がわかるケースは非常に少ないと言えます。  考古学の研究者が製作地を追求する際...
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瓦礫は語る

2014年9月  瓦礫の山というと、廃材が山積している様子が思い浮かびます。奈良文化財研究所の収蔵庫はまさに瓦礫の山です。といっても、もちろんコンテナには入っていますが。収蔵庫の瓦は、瓦礫といえども飛鳥時代から奈良時代を中心とし、近代にまでいたる大切な考古資料です。つまらないものの例えとして瓦...
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「古代建築」の「現代」

2014年9月  奈良県は文化財の宝庫です。仏像、建造物、遺跡、歴史資料など、まさに文化の中心であったことを実感させられる場所です。日本の歴史を伝える文化財を求めて、日本国内だけではなく、海外からも多くの観光客が訪れる場所です。  建造物に注目してみると、奈良時代以前に建てられたとする建造物...
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飛鳥の民家

2014年8月  飛鳥資料館で今夏、開催中の写真コンテスト作品展『飛鳥の甍』、もうご覧いただけたでしょうか?今年で5回目をむかえた写真コンテストは、毎回テーマを決めて作品を募集しています。様々な視点で切り取った飛鳥の風景を通して、あらたな魅力の発見・発信につなげたいと考えております。  ここ...
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建物か、塀か・・・

2014年8月  発掘調査を実施すると柱穴や溝、井戸など、かつて人が活動していたことを示す遺構を検出することができます。学生時代、初めて発掘調査に参加した際、土坑を検出、掘り下げたところ、板を井桁に組み合わせた井戸であることが判明、その底からは当時の生活を示す土器や木製品などが出土、肌で歴史を...
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出土品と伝世品

2014年7月  あたりまえのことですが、土の中から出てきたものが出土品。だから、遺跡を掘って出てきたものは、みな出土品ということになりますが、世の中には古いものであっても埋まることなく大事に保存されてきたものがあり、それを伝世品と呼びます。  4月の人事異動で博物館から研究所へ転任してきて...
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食堂の裏手

2014年7月  社員食堂(しょくどう)の話ではありません。「じきどう」と読みます。  古代寺院においては、食堂は僧たちが一同に集って食事をする重要な施設でした。2013年度に当研究所が発掘した薬師寺の食堂も、例外ではありません。発掘調査によって明らかになった食堂の遺構は、東西47.1m、南...
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遺跡保存と土と水

2014年6月  ここ数年、夏になると熱中症のニュースをしばしば耳にするようになりました。郊外にくらべて都市部の気温が高温になる、いわゆるヒートアイランド現象がその一因であることはご存知の方も多いことと思います。地表をアスファルトなどの人工の被覆物で覆うことで、地表に占める土の割合が都市部を中...
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大雪の影響

2014年6月  今冬は、日本各地で大雪に見舞われました。被害にあわれた方には、謹んでお見舞い申し上げます。  我々の研究室がある奈良市内でも、膝くらいまでの積雪があり、そのため交通機関の乱れなどがありました。しかし、例年このような雪模様にならない奈良では、おそらく雪を楽しんだ人も多かったの...
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「奈良といえば鹿」だけではない!

2014年5月  「奈良といえば鹿」と言われるように、奈良は鹿のデザインであふれています。その代表は、平城遷都1300年祭や奈良県のマスコットキャラクターである「せんとくん」でしょう。せんとくんには立派な鹿の角が生えていますね。  奈良の町を歩いていると、鹿以外にも見かける動物がいます。それ...
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気候変動で危機に瀕する文化遺産

2014年5月  今年(2014年)の2月から3月にかけて、私は文化庁の事業(文化遺産保護国際貢献事業・専門家派遣)で大洋州のツバル、キリバス、フィジーの3か国に行ってきました。その目的は、近年の急激な気候変動によって、危機に瀕する可能性のある文化遺産についての調査でした。  世界をとりまく...
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2014年4月    地下に埋もれている遺跡を発掘するにあたっては、予め周辺の調査成果や検出が予想される遺構の類例などを把握した上で、調査に臨みます。2006年10月から2007年9月にかけて実施した高松塚古墳の石室解体作業では、石室の石材ごと壁画を取り出すという海外にも前例のない困難な作業...
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硯を読む

2014年4月  現在、われわれが墨をする際に使う硯の多くは、石でできています(石硯・せっけん)。ところが、日本古代の硯の多くは焼き物でした(陶硯・とうけん)。陶硯が主流だったのは、古代東アジアのなかでも日本だけでした。  さて、多種多様な古代の陶硯は、円形を呈するものが多く、円い硯の周囲に...
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遺跡をはかる

2014年3月  春遠からじ、といえどまだまだ寒い日がありますね。寒がりの私は外に出るだけでも嫌な季節ではありますが、日々奈文研では発掘調査が進められています。  発掘調査というと竹べらで慎重に土を掘っていくイメージがありますが、それは作業のほんのひと時でしかありません。多くの時間を要する作...
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家の作りようは冬を旨とすべし?

2014年3月  中国の天津市にある遼代の楼閣建築、独楽寺観音閣を見に行ったときのこと、昼食をとりに近くの食堂へ行きました。そこは大鍋料理を看板に掲げていて、円卓の中央に大きな鍋が据えてありました。その円卓の足元を見ると焚き口が付いていて、直火で鍋を加熱しています。焚き口の反対側からは、床を這...
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消えた煉瓦の行方

2014年2月  奈良時代前半、平城宮の中心部である大極殿の前面には、煉瓦の積まれた巨大な壁が、高さ約2m、幅約100mにもわたり築かれていました。専門用語では、この煉瓦は「磚(せん)」とよばれ、磚の積まれた壁は「磚積擁壁(せんづみようへき)」とよばれます。この磚積擁壁は、大極殿を一段高い位置...
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2014年2月  当研究所本庁舎の近くを走る近鉄奈良線が開通したのは、今から100年前のことだそうです。ちょうどその頃、平城宮跡における最初の整備事業が、1913年に結成された奈良大極殿阯保存会により行われています。1922年の史跡指定後もさらに整備され、その範囲は第二次大極殿を中心として内裏...
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2014年1月      今日は寒いなと思って窓から外を眺めると雪が舞っていました。日本には春夏秋冬があり、四季折々の景色に感動することもしばしばですが、夏は蒸し暑く、冬は寒く乾燥するという環境は、...
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天平人の腹をさぐる

2013年12月      2009年の1月、平城宮東方官衙地区でウンチが発見されました。円形の穴がいくつかみつかり掘り下げてみると、クソベラとウリの種がたくさん出てきたのです。ウンチだとわかったの...
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「塩」の話

2013年12月      吉田兼好の『徒然草』に「塩」は何偏か?と聞かれた人が「土偏」と答えて笑われたという話があります。「しお」の漢字は正しくは「鹽」で、「塩」はもともと俗字でした。このエピソー...
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『日本霊異記』を歩く

2013年12月      ここ数年、月に1回の割合で、1日20㎞前後大和盆地を歩いています。アラフォー世代にさしかかり健康が気になりはじめた訳ではなく、薬師寺僧景戒(きょうかい)が、平安時代初めに...
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日々年輪を見ながら思うこと

2013年11月      今年の秋、伊勢の神宮では第六十二回式年遷宮がおこなわれました。白木の香りも芳しい社殿の傍らに佇むと、「日本人に生まれて本当に良かった、そしてヒノキにたずさわる仕事をしてい...
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平城京の塔の景観

2013年11月      近年、「景観」という言葉をよく耳にします。また、新しい文化財として、文化的景観というジャンルもできました。景観とは移り変わってゆくことに特徴がありますので、過去の景観を考...
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笵(はん)で押す

2013年10月      「判で押したような」というと、同じことの繰り返しで、変化のないさまのこと。この「判」とは、ハンコのことです。なるほど、ハンコを押したらいつも同じになりますね。 ...
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文字の書き方

2013年10月      近年ではパソコンが普及し、鉛筆やペンを握る機会は減ってきました。ましてや、毛筆で文章を書く必要は少ない時代です。   歴史研究室では、お寺などに遺された...
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埋もれゆく近代の庭園

2013年9月      奈良時代、平城宮の東院に営まれた庭園や平城京左京三条二坊六坪の庭園、そして、阿弥陀浄土院の庭園などに、明らかなる端緒を示した日本の庭園文化は、平安時代において、現在の京都に...
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リサン、ド=シャルダンのあとを訪ねて

2013年9月      リサン(Emile Licent 1876-1952)とド=シャルダン(Pierre Teilhard de Chardin 1881-1955)は、ともにイエズス会のフラ...
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鍛冶屋さんの利き腕

2013年8月        しばしも止まずに槌打つ響    飛び散る火の花 はしる湯玉    ふいごの風さえ息をもつがず    仕事に精出す村の鍛冶屋 ...
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新しい「光」

2013年8月         文化財の調査研究には様々な「光」や「電波」が使われています。地下の遺跡を探査する地中レーダー探査、遺物の内部の状態を映し出すX線透過試験やX線CTス...
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大極殿見学の栞に

2013年7月         2010年に復原が完成した平城宮第一次大極殿は、遷都1300年祭が終わったあとも、多くの見学者で賑わっています。大極殿から南に朱雀門を望めば、平城宮...
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かたおもいの歌と土器

2013年7月        思い遣る すべの知らねば かたもひの 底にそ我は 恋ひなりにける 土?の中に注せり   上は万葉集巻四 707番...
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アク・ベシム遺跡

2013年6月         中央アジアには旧ソビエト連邦を構成していて、現在は独立している共和国が5つある。そのひとつキルギス共和国は、東部に位置し中国とも国境を接する国で、天...
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古代の方位測定法

2013年6月       平城京をはじめとする都城や寺院、道路など、古代の土木建造物には、真北や真東西に方位を合わせたものが少なくありません。工事にあたって測量がおこなわれたこと...
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あまちゃん

2013年5月    奈良時代の貴族の食卓には、さまざまな山海の珍味が並びました。シカやイノシシ、タイやアユ。なかでもアワビは、「長屋親王宮鮑大贄十編」の木簡にみるようにどんな食材よりも高...
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2013年5月    いまは田園風景がひろがる飛鳥の地。その飛鳥の核といってもよい飛鳥寺は、わが国で最初の本格的な仏教寺院とされています。『日本書紀』には崇峻元年(588)、百済から僧、技術者たちと...
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山口玄洞という人

2013年1月   山口玄洞が寄進した延暦寺東塔阿弥陀堂(昭和12年)  建...
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計画停電?

2012年8月   修復の始まった西トップ遺跡  今年の関西地方は計画停電が...
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今、世はイクメンの時代。

2012年5月   《病草紙断簡・肥満の女》部分  福岡市美術館蔵(松永コレクション) ...
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ラニガトへ、ラニガトから

2012年3月   ラニガト遺跡の発掘風景(1984年) ラニガト遺跡は、パ...
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恵美押勝の金・銀・銅貨

2012年1月    昭和12年(1937)の暮れのこと。西大寺小字畑山にある低丘陵の掘削工事中に、金銭が出土し、工事現場は騒然となりました。あわてて工事を中断し、掘り起こした土をフルイにかけたとこ...
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弥生水田からコウノトリの足跡を発見

2011年6月   画像提供:早川和子氏 写真提供:大阪府文化財センター    今から15年も前...
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くれなゐはうつろふものそ

  2011年2月   『万葉集』巻一八・4109番に   という歌が、掲載され...
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青年の志―平城宮跡を守った男達

2010年11月    私は最近『平城京ロマン』と題する本を上梓しました。昨年奈文研を辞し東京農業大学の教官となった若き研究者・粟野隆氏との共著で、京阪名情報教育出版株式会社という奈良の小さな本屋さ...
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三笠の山に出でし月かも

  2009年8月    あまの原 ふりさけ見れば 春日なる         三笠の山に 出でし月かも  百人一首に収められたこの歌は、皆さんもよくご存じのこと...
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様になる

2009年2月    飛鳥池の発掘調査では、いろいろな木製の「様(ためし)」が出土した。「様」とは、製品の見本、あるいは手本といったもので、これと同じものを工人は作るのである。「様」とそっくり同じよ...
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柱穴の魅力

2009年2月    写真にみえる穴は、藤原宮の周囲を囲んでいた掘立柱塀(大垣)の遺構です。南北一列に並ぶ方形の穴は、柱の根元を埋め立てるために掘られた穴(柱掘方)で、1辺が1.3~1.8mほどと大...
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平城京と国分寺の瓦

2009年2月     拓本の図は信濃国分寺の軒瓦です。この瓦は以前から奈良の瓦によく似ていると言われながら、同笵の瓦はこれまで奈良でみつかりませんでした。同笵瓦とは、木製の同一笵に粘土を詰めて文様...
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2008年1月    この珍しい組み合わせ墨書文字は、平城宮内裏北方の官衙にあった塵捨て穴から出土した土師器の小型の杯に記されていた。杯の底部外面中央に2行にわたって「採る莫れ、鸚鵡鳥杯」と、その脇...
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藤原宮のその後

2007年12月    奈良の都「平城京」へ都が遷って1300年にあたる、2010年が間近にせまってきていますが、日本の都として、中国に倣い、我が国で最初に計画的に作られた人工都市は、「藤原京」です...
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平城宮跡の認識と大極殿の復原

2006年7月    平城宮跡資料館を入ると、入口ロビーに明治時代の平城宮跡の地形模型が展示してある。ほぼ全域が水田なのであるが、田の中にいくつかの土壇が高まりとして残っている。    平城...
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最近の東大寺の調査から

2005年9月    奈良文化財研究所は、1952年に美術工芸研究室、建造物研究室と歴史研究室の三研究室で発足しました。その後の改編で、美工は奈良国立博物館に移り、現在は建造物研究室、遺跡研究室と歴...
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奈良の都の夏と氷

2005年6月    奈良の夏は暑い。雪国育ちの私には、照りつける灼熱の太陽は過酷だ。こんな暑い奈良で平城京の人びとは、猛暑をどう凌いでいたのだろう。    当時の気温は、今と比べ...
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発掘現場と女性

2005年2月    今年は、台風が例年になく多く、現地レポーターが、強風と高波を背景に波止場で叫んでいる場面を何度となく見ました。    ある日、家内が、「かわいそうに、女の子ががんばって...
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石室は満天の星空

  2004年12月    明日香村キトラ古墳の石室は満天の星空である。天井いっぱいの星(星宿という)は天空の王者である北極星を中心に、北斗七星など300余りの星、太陽と月、太陽の軌道の...
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中国の伝統楽器

2004年10月    最近、えっと思った、ちょっとした話。わが研究所は、中国や韓国の研究所との交流が盛んで、年間、互いに行き来する研究者は100名近くにもなります。  ...
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作寶樓の由来

2004年4月    作寶樓というのは、奈良時代の皇族宰相として有名な長屋王(687~729年)の屋敷につくられた二階建て建物であり、また屋敷の雅号だったかもしれません。    国道24号線...
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