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鯛で金を磨く

2022年7月

 わたしには、どうしても手に入れたいものがありました。それは、「鯛の歯」です。研究の一環でおこなっている彩色復元で、絵具の配色や色調を試す際、髪の毛ほどの細さに切った金箔で文様を描く截金(きりかね)【写真1】の高度な技法を再現するために、代用の金泥に使う鯛の歯がどうしても必要でした。そんな折に、宿泊した旅館で偶然にも尾頭付きの鯛の煮つけをいただき、念願の鯛の歯を手に入れることができました。

 金泥は、金箔や金粉を膠(にかわ)で練ってつくった絵具です。金の細かい粒子が光を乱反射するため、その輝きは金箔よりも鈍くなってしまいます。銀泥も同様に、銀箔よりも鈍く白っぽい輝きとなるのですが、そんな金泥や銀泥をどうしても箔のように輝かせたい・・・、そんな時に活躍するのが「鯛の歯」なのです。この鯛の歯で金泥や銀泥を優しく磨くと、金銀の粒子が平滑になり、金箔や銀箔のような光沢を得ることができます。

 細かい作業に向いた形状、絶妙な硬さと滑らかさを持つ鯛の歯でつくった鯛牙(たいき)は、蒔絵や金継ぎの技法にも使用されています。わたしも旅館でいただいた鯛の歯でさっそく鯛牙をつくりました【写真2】。

 金泥や銀泥を磨くと光沢が得られることは古くから知られており、奈良時代の仏教経典づくりにも生かされていました。『正倉院文書』によると、金字の経典をつくる写金字経所という役所には、「瑩生(えいせい)」と呼ばれる文字磨き専門の役職が置かれ、猪牙(ちょき)を用いて金泥の文字を磨いていたとされています。紫や紺色に染めた和紙に金銀泥で罫線を引き、さらに文字を磨きあげた経典は、さぞ美しかったことでしょう。博物館や美術館で奈良~平安時代の紫紙金字経や紺紙金字経などを見る機会があれば、文字の輝きにも目を向けてみると面白い発見があるかもしれません。

 また、中世ヨーロッパのキリスト教絵画には、金泥ではなく金箔そのものを磨く「黄金背景」という技法が用いられました。この技法は、イコン画などの聖人を描くテンペラ画の背景に厚めの金箔を置き、それをメノウで磨いてさらに光沢を出すことで、描かれた聖人のオーラや神聖な空間を表現します。鯛牙や猪牙と同じように、適度な硬さと滑らかさを持つメノウは、現在も金銀泥や箔を磨く道具として利用されています。

 このように異なる国や文化であっても、荘厳華麗な表現を目指すために金銀泥や箔を磨くという技法の共通点がうかがえるのは、とても面白いことだと思います。

 金や銀の特別な輝きは、これまでもこれからも人々を魅了し続けていくのかもしれませんね。

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【写真1】両手に持った筆で截金をほどこす様子

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【写真2】作製した鯛牙と金泥

(飛鳥資料館アソシエイトフェロー 濵村 美緒)

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