3月29日(土)、飛鳥資料館に集められていたキトラ古墳の壁画と出土品が、東京へ旅立ちました。厳重に梱包したうえで美術品専用のトラックに載せ、担当職員などが添乗しての運送です。 これらの文化財は、4月22日から東京国立博物館で開催される「キトラ古墳壁画」展(文化庁、東京国立博物館、奈...
続きを読む1983年の『チベットのモーツァルト』で宗教人類学者として鮮烈なデビューを飾った中沢新一氏であるが、氏の近年の関心はもっぱら縄文や古代といった過去に向けられているようである。そのなかでも本書は、もともと週刊誌に連載されていた記事をまとめたものなので、比較的気軽に手に取ることのできる読み物である...
続きを読む本書では、景観を考える上で「美しい」や「心地よい」などの抽象的な概念に対して、その理由を明らかにするために景観の物理的な要素に対して考察をおこなう。そして、漠然と人々が感じる抽象的概念の背景にある本質を継承することにより、現代社会でめまぐるしく変化する都市景観に対して、好ましい未来像の提案を試...
続きを読む近年、宇治や金沢の文化的景観にみられるように、日本国内において都市部の文化的景観保護の取り組みが活発化している。これまで文化財保護法における重要文化的景観に選定された多くの地域は、棚田をはじめとする農山漁村を中心とした文化的景観であったが、人々の暮らしと自然が調和したこれら文化的景観に比べ、混...
続きを読む監訳者の中越信和氏をはじめ、自然科学分野から文化的景観に関わるひとの多くは「 門にしている。なぜ植物学や動物学、また自然界での相互の関係を扱う生態学ではないのだろうか。そもそも景観生態学とは何なのだろうか。文化的景観と景観生態学、そこには「景観」という言葉の共通点以上の何らかの関係があるのかも...
続きを読む「文化的景観」という概念は、いまだ、日本では一般的とはいいがたい。その一因に、「景観」という語が指し示す内容の曖昧さがある。「景観」といわれて普通に想定するのは、物理的な眺めのことであろう。けれども、文化的景観は、物理的な眺めを形成するバックグラウンドとしての生業と生活に力点が置かれた概念と...
続きを読む平成26年度 飛鳥資料館 春期特別展の開催が決まりました。 https://www.nabunken.go.jp/asuka/kikaku/26.html ...
続きを読むはじめに 平成23年3月11日、東日本を襲った大地震は、巨大津波も引き起こし、多くの尊い生命とそこに暮らしていた人々の生活だけでなく、地域に連綿と息づく暮らしの中で育まれた多くの文化財もまた深刻な被害を受けました。この被災した文化財を救い出すために、文化庁が中心となって文化財レスキュー事業が...
続きを読む現在、被災各地では復興事業の本格化に伴い、多くの発掘調査がおこなわれています。発掘調査の迅速化に向けて、全国の地方公共団体から派遣された多くの専門職員の方々がその支援にあたっています。 こうした状況を受け、奈文研としても、発掘調査関連技術による支援をおこなうこととしました。25年度は、岩手県陸前...
続きを読む平成26年3月8日(土)、平城宮跡第一次大極殿院地区の発掘調査(平城第520次調査)の現地説明会を開催しました。 当日は715名の方にご参加いただきました。 現地説明会資料はこちらです。 >>電子公開ページ 【発掘担当者からのコメント:遺構研究室研究員 海野 聡】 復原された平城宮第一次大極殿の目の...
続きを読むまだまだ工事が続き、ご迷惑をお掛けしております。現在工事のため、地階にあった映像コーナーが1階ロビーに移動しています。ここのコーナーでは飛鳥資料館が制作した10本の映像を公開中です。おすすめは「高松塚古墳の歴史」。22分で長めですが、高松塚古墳の発掘に関わった方にインタビューし、壁画発見をドラマで再...
続きを読む2014年3月 中国の天津市にある遼代の楼閣建築、独楽寺観音閣を見に行ったときのこと、昼食をとりに近くの食堂へ行きました。そこは大鍋料理を看板に掲げていて、円卓の中央に大きな鍋が据えてありました。その円卓の足元を見ると焚き口が付いていて、直火で鍋を加熱しています。焚き口の反対側からは、床を這って煙...
続きを読む平等院や宇治上神社のある中宇治地区から山をひとつ隔てた南側、直線距離で1kmほどしか離れていない場所に宇治市の白川地区がある。東西に伸びる谷筋にひっそりと集落がたたずみ、その谷間を埋めるように茶園と水田が展開する、まるで隠れ里のような場所である。 図1は明治中期の地籍図から復元した白川中心部の...
続きを読む宇治の文化的景観の中核をなす宇治橋通りは、平安貴族の別荘地として区画された格子状街区を斜めに横断するように、12世紀頃に新設された通りである。中世末以来、宇治の茶業を取り仕切った「茶師」と呼ばれる特権的な茶業家が屋敷を連ね、近代以降は多くの茶師が没落して茶商の時代へと移り、さらに宇治の都市的発展に...
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