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家の作りようは冬を旨とすべし?

2014年3月

 中国の天津市にある遼代の楼閣建築、独楽寺観音閣を見に行ったときのこと、昼食をとりに近くの食堂へ行きました。そこは大鍋料理を看板に掲げていて、円卓の中央に大きな鍋が据えてありました。その円卓の足元を見ると焚き口が付いていて、直火で鍋を加熱しています。焚き口の反対側からは、床を這って煙道が壁に向かい、その後は折れ曲がって壁沿いに部屋の隅まで延びていました。タイルが貼られた煙道の上には座布団が置いてあり、座って暖を採っているようです。

 焚き口から延びる煙道を利用して暖を採ったり、部屋を暖めるカマドは、中国では「炕(カン)」と呼ばれます。炕は中国の黒竜江省から山西省にかけての住宅に多く見られ、現在でも使われていることが少なくありません。中国では部屋の一部に設けられますが、韓国では部屋の床下いっぱいに煙道を巡らす「温突(オンドル)」が知られています。温突は炕が発達したものと考えられ、炕の発生は発掘調査の成果から紀元前2〜3世紀頃の朝鮮半島から沿海州のあたりにあると見られています。

 日本建築の暖房というと火鉢や炬燵が有りますが、房(部屋)を暖めると言うよりも採暖器具と言えます。囲炉裏は建物に作り付けですが、大きな火鉢と変わりないとも言えます。「家の作りようは、夏を旨とすべし。」と吉田兼好が言うように、日本の住まいは暖房設備を発達させませんでした。しかし、発掘調査では、どうも暖房設備の有りそうな建物跡が見つかっています。

 明日香村の南西部、キトラ古墳に程近い檜隈寺で、7世紀前半頃の竪穴住居が見つかっています。その建物には日本では変わった形のカマドが付いていました。日本で一般的な、壁際に造られることが多いカマドと対照的に、焚き口からL字に煙道を延ばしてから煙を室外に排出しています。つまり、中国の大鍋料理店と同じなのです。この種のカマドは50例にも満たないのですが、日本国内で発掘調査によって見つかっています。また、百済の都を守った扶蘇山城でも発掘されています。

 檜隈寺は百済のあたりからの渡来人である東漢氏の寺として知られています。その他の国内発掘例も渡来人の関わりが想定されています。L字形のカマド(炕)は彼らが祖国の住文化を持ち込んだことを示しますが、この炕はなぜか日本に定着しませんでした。それから千年以上、最近はずいぶんと床暖房が普及しています。兼好の教えによって忘れ去られていましたが、冬を旨とする家作りには意外と古い歴史があったのです。    

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天津市の大鍋料理店円卓

 

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円卓から延びる煙道

 

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  檜隈寺の竪穴住居

 

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竪穴住居のL字形煙道

      (都城発掘調査部 主任研究員 黒坂貴裕)

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