私たちの社会は、地域が積み重ねてきた日常が文化として色濃く根付き、各地に文化財として息づいています。しかし、自然災害がそれらを脅かし、失われつつあります。近年、災害が多発し、2024年1月1日には能登半島地震で多くの被害が出ている現実を前に、私たちの日常を守るために文化と防災を結びつけることが重要です。
日常生活と災害の関係について、アメリカの進化生物学者、Jared Mason Diamondは著書『文明崩壊』で、「ダム決壊の恐怖心は、遠い下流から上流に行くに従って増加し、数キロのところで最大値となり、そこからダムに近づくほど恐怖を感じる人が急落し、最後にはゼロになる。」と述べています。また、日本民俗学の柳田国男は『雪国の春~二十五箇年後』で、「(津波被災の後)もとの屋敷を見捨てて高みへ上った者は、それゆえにもうよほど以前から後悔をしている。」と述べ、環境の危険性に対しての人々の感受性の変化を指摘して「これに反してつとに経験を忘れ、またはそれよりも食うが大事だと、ずんずん浜辺近く出た者は、漁業にも商売にも大きな便宜を得ている。あるいはまた他処からやってきて、委細構わず勝手な所に住む者もあって、結局村落の形はもとのごとく、人の数も海嘯の前よりはずっと多い。一人一人の不幸を度外におけば、疵はすでにまったく癒えている。」と述べています。これらの指摘から、人々は日常の生活の中では、自然災害に代表される環境のリスクを感じにくくなり、適切に警戒することが難しいことがわかります。
それでは、日常に潜むリスクにはどのように対応したらよいのでしょう。矢守克也は、『増強版<生活防災>のすすめ』の中で、災害の記憶を生かして地域の防災力を強化するために、「生活防災」を提唱しています。これは、災害対策を日常生活の諸活動(家事・仕事・福祉・環境問題・祭り・スポーツイベントなど)に溶け込ませることを強調しています。そこで、災害の記憶が文化として日常に組み込まれて数百年継承され続けている事例を紹介します。大阪府浪速区では毎年地蔵盆に1854年の地震と津波の記録を刻んだ碑文に墨入れをしています。天草市では1792年の雲仙普賢岳眉山の山体崩壊で起きた津波の発災日である4月1日に毎年行われる「津波節句」で手料理が振る舞われ、地域の交流が深まっています。宮古島の「ナーパイ」という津波除けの祭祀では1771年の津波石の所で踊りが奉納され、津波の到達点と居住地を分断することで津波の到達点を思い起こしています。宮崎市では 1662年の地震発生から続く、約50年ごとに石碑を新たに建てる取り組みがあり、2007年には350回忌を迎えました。
日常生活に防災活動を文化の一部として組み込み、徐々に馴染まることは、世代を超えて地域の防災力を強化する仕組みを継承する良い方法かもしれません。
参考文献
Jared Mason Diamond『文明崩壊』草思社; 単行本版(2012)
柳田国男『雪国の春~二十五箇年後』角川学芸出版(2011)
矢守克也『増強版<生活防災>のすすめ』ナカニシヤ出版(2011)
(埋蔵文化財センター(併任)研究員 上椙 英之)
]]>※電子書籍のみの発行となります。
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/138613
目次
第1講 奈良からノリッジへ(ストーンヘンジ経由)―日本考古学への英国的まなざし
第2講 宮古島長墓遺跡の調査から見たもう一つの日本考古学
第3講 学際的研究から見た景観利用の歴史的連続性とその変化
第4講 考古学的文学研究のために
第5講 『縄文社会、宗教と交換』ヒスイの視点から
第6講 モノからヒトへ―考古学と地域社会の関係性
第7講 縄文貝塚の魅力―西ヨーロッパからの視点
第8講 日本考古学の魅力―ドイツの考古学者の経験と印象
第9講 鉄器研究から見た日本考古学
第10講 分析が明かす古代の鍛冶
第11講 データサイエンスと比較考古学から見た日本の考古学
第12講 選択の一つひとつ―日本考古学者への道のり
パネルディスカッション
表紙
]]>さて、期間中にみなさまよりお願い事を書いて投函いただきました百万塔カードを、3月7日(木)に西大寺で行われました初午厄除祈願会でお焚き上げしていただきました。
当日は暖かい日差しの下、盛大にお焚き上げが行われました。
みなさまのお願い事は、きっと天まで届いたことでしょう。
初午厄除祈願会の当日の模様は、近日【公式】なぶんけんチャンネルにて公開予定です。
お楽しみに!!
発表資料はこちらです。 >>全国遺跡報告総覧
7世紀代の区画塀や石組溝はいずれも、従来の石神遺跡の範囲よりも、さらに東方へ続いていることが今回の調査でも確認でき、石神遺跡の東方には未知の重要施設が存在する可能性が高まりました。今後も石神遺跡とその東方区域における調査を継続していきますので、どうぞご期待ください。
]]>群馬県でこれまで仕事をしてきた私ですが、今年度から奈良文化財研究所に移ってきました。旧石器時代に人々はどのように生活していたのかを研究してきましたが、その中で奈良と群馬を結ぶものに瀬戸内技法があげられます。
瀬戸内技法とは今から2万9000年前頃に現れた石器の製作技術の一種です。原礫と呼ばれる大きめの丸い石を板状に打ち割ったあと、刺身の切身のように薄く割っていくことで石器の素材を作ります(図1)。この瀬戸内技法で製作された素材から、「国府型ナイフ形石器」と呼ばれる特徴的な石器などが作られました。
奈良県と大阪府の境にある二上山は、サヌカイトと呼ばれる石材の原産地です(写真1)。二上山周辺からは、瀬戸内技法に関連する遺跡が数多く発見されました。サヌカイトは板状に割れる性質があるため、瀬戸内技法はサヌカイトから効率的に石器を製作するために発達した技術であると考えられます。
その反面、瀬戸内技法、もしくはその影響を受けて製作された石器は本州・四国・九州の広い地域で発見されています。関東平野でも以前から国府型ナイフ形石器は出土していましたが、瀬戸内技法が石器の製作に用いられた確たる痕跡は長らく発見されていませんでした。それが初めて確認されたのが、群馬県にある上白井西伊熊遺跡です。
このような特定の地域で発達した技術が、遠く離れた地域でも見つかる背景にはどのような理由が考えられるでしょうか。当時の人々は食糧となる動物を求めて各地を遊動する生活を送っていました。そうした生活では、狩猟が不調で食糧が得られなかった時によその集団から分けてもらったり、食糧などの資源を得られる時機などの情報を共有したりするために、異なる地域を遊動する集団間であっても、積極的な交流がおこなわれていたと考えられます。瀬戸内技法で作られた石器が広く見つかるのも、地域をまたいだ集団間のやり取りの結果であるのかもしれません。
ちなみに、このように奈良でも群馬でも見つかったこの瀬戸内技法の石器は、現在の奈良文化財研究所本庁舎の敷地からも発掘調査によって出土しています。石器は本庁舎エントランスの展示スペースで間近に見ることができますので、奈良文化財研究所にお立ち寄りの際はご覧ください。
図1 瀬戸内技法概念図(松藤和人1986「旧石器時代人の文化」『日本の古代4』中央公論社から一部改変)
写真1 二上山(北から、筆者撮影)
(企画調整部研究員 小原 俊行 )
]]>https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/138484
表紙
]]>琴づくりコトはじめ
>>https://youtu.be/QAROnxBBXdM
みなさま、当日は寒い現地に足をお運びいただきありがとうございました。
発表資料はこちらです。 >>全国遺跡報告総覧
発掘担当者からのコメント:都城発掘調査部 研究員 田中 龍一
今回の現地説明会でみなさまにご覧いただいたのは、平城京左京三条一坊二坪という場所にあたります。調査地の周囲を見渡すと、すぐ西には平城京のメインストリートである朱雀大路に面しており、平城宮の正門である朱雀門からも歩いてすぐのところだということを実感いただけたかと思います。
極めて立地の良い平城京の一等地ともいえる場所ですが、坪の中心部分の調査はほとんどおこなわれていなかったため、そこに一体どんな施設があったのかは分かっていませんでした。奈良文化財研究所では、昨年度から継続して坪の中心部分の調査をおこなっており、その核心部分に迫ろうとしています。
調査の結果、掘立柱建物群や掘立柱塀、井戸と思われる大土坑や礎石を捨てこんだ土坑など、多くの遺構がみつかりました。掘立柱建物は、1棟ごとの規模はそれほど大きくない(むしろ一等地のわりに小さい...!)ものの、合計6棟が東西に整然と並んでいたことがわかりました。建物の規模や配置、出土遺物から考えると、人々が暮らしていた空間というよりも、むしろ倉庫や作業場といったバックヤード的な性格の建物群といえるかもしれません。
このほか、調査区各所で直径1m近い大きな石の捨てこみを確認しました。現時点で合計18基も確認しており、石の特徴から建物の柱を据えるための礎石であると考えられます。これらはいずれも後世に捨てこまれたものではありますが、調査地周辺で未知の礎石建物が複数存在していた可能性が浮上しました。
一等地なのに小さい倉庫群?礎石建物は一体どこにあったの?結局どんな施設があったの?など疑問は尽きませんが、現地説明会後も調査を続けています。今後は出土した遺物の検討成果もあわせて、左京三条一坊二坪における土地利用の様相を明らかにしていきます。今後の調査研究の進展にどうぞご期待ください。
]]>https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/138353
表紙
]]>岩手県編
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/138354
千葉県編
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/138355
石川県編
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/138356
目次
掲載対象の基準 【掲載対象】
掲載対象の基準 【掲載対象外】
項目の説明
総目録
表紙
表紙
表紙
]]>青森県編
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/138302
鳥取県編
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/138303
目次
掲載対象の基準 【掲載対象】
掲載対象の基準 【掲載対象外】
項目の説明
総目録
表紙
]]>■2023年度 赤米献上隊
>>https://youtu.be/GFcuauYYqMM
東京国立博物館で開催中の特別展「本阿弥光悦の大宇宙」の期間、2024年3月10日(日)までの販売となります。
東京国立博物館ミュージアムショップ
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=125
特に、よみがえった古代のボードゲーム「かりうち」は、見本品を展示していますので、キット内容をお手に取ってご確認いただけます。
関東方面在住の皆様、この機会をお見逃しなく!
よみがえった古代のボードゲーム「かりうち」について詳しくは、こちら。
https://www.nabunken.go.jp/research/kariuchi.html
奈文研グッズの詳細は、平城宮跡資料館のグッズ紹介ページをご覧ください。
https://www.nabunken.go.jp/heijo/museum/shop.html
東京国立博物館・特別展「本阿弥光悦の大宇宙」
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2617
<様々な機関が迅速に情報を公開する時代>
2024年1月1日夕方、能登半島地震が発生しました。国土地理院では1月2日に能登半島の空中写真を撮影し、3日には公開しました。4日には地震によって生じたとみられる斜面崩壊箇所及び土砂堆積箇所を公開、7日には空中写真判読による津波浸水域(推定)が公開されています。9日には森林総合研究所が能登半島を対象とした微地形表現図(CS立体図)を公開しました。他にも航測会社等から様々なデータが公開されています。多数の機関がデータを迅速に公開することで、データに基づいた把握や分析が可能となりました。
文化財分野においては、文化財総覧WebGISに全国66万件の文化財データが登録されています。建造物や史跡など様々な文化財データが登録されており、地図から文化財を探すことが可能です。奈良文化財研究所文化財情報研究室では、自治体が公開している文化財オープンデータを順次登録しており、能登半島各市(七尾市・輪島市・珠洲市・志賀町・中能登町・能登町・穴水町)の文化財データは登録を終えています。
ここに国土地理院が公開したデータと文化財情報を重ねることで、被害の推定などが可能になりました。例えば山城などの山中にある遺跡範囲と斜面崩壊箇所データを重ねることで、遺構への影響可能性を探ることができます。被災地では文化財関係者のリソースが逼迫しており、効率的な取り組みが求められます。また長期にわたって余震が続く可能性もあり安全を確保したうえでの活動が必要とされます。最終的には現地に赴く必要がありますが、リモートセンシングのように離れた場所から分析することは有効です。デジタルであれば、当該現地ではなく遠隔地からの作業分担も可能となります。リスト1は文化財総覧WebGISにて登録している災害関係のデータです。インターネットさえ接続できれば、無償で誰でも利用できる情報プラットフォームを提供することは国立の研究所としての役割ともいえます。
<市民みなが高度情報端末を持つ時代>
現代は、高度情報社会と呼ばれて久しくなります。特に昨今はネットワークインフラの広域化・高速化が進み、大容量デジタルデータのやり取りも増加しています。端末となるスマートフォンは、高解像度画像の撮影・位置情報取得(GPS機能)・高速通信が可能です。多機能な情報端末と言えます。普及が進み、携帯電話所有者のうち、2010年のスマートフォン比率(日本国内で携帯電話の所有者のうちスマートフォン比率)は4%程度でしたが、2023年には96.3%になりました(1)。また日本のソーシャルメディア利用者数は、2022年は1億200万人であり、2027年には1億1300万人に増加すると予測されています(2)。ソーシャルメディアでは、即時的に情報収集・記録・情報発信が可能です。ケースによっては従来のメディアより早く現地の生の情報が発信され、多数の利用者と情報を共有できます。
つまり多数の市民が高度な情報端末を保有し、即時の情報活用が可能な環境です。市民が自律的に情報活用する環境は、情報蓄積が重要な文化財分野にとっては追い風となるでしょう。今回の地震でも1月1日の発災直後から被災文化財の写真が数多くSNSにアップされました。普段、親しんでいる鳥居等が倒壊している様子など衝撃的な光景であるため、写真を撮影し、SNSにアップしたのでしょう。指定文化財は行政としても重点的にフォローしますが、被災直後の記録は困難です。未指定の文化財については、被災直後には手が回りきらず、道路など交通インフラの復旧時に撤去されることがあると聞きます。そういった場合に市民が被災直後の文化財の写真を撮影し、パブリックなSNSにて公開することは記録としても非常に価値があります。元来、文化財は専門家の独占物ではなく市民のものであり、市民が文化財情報に即時にアクセスし、市民自らが記録・発信できることは、まさに文化財保護法がいう「国民共有の財産」の根幹といえます。
【リスト1】
令和6年(2024年)能登半島地震
空中写真(正射画像)
空中写真判読による津波浸水域(推定)
斜面崩壊・堆積分布データ
平成28年熊本地震
阿蘇2地区 正射画像
平成23年東北地方太平洋沖地震
空中写真(正射画像)
津波浸水範囲
画像1 石川県珠洲市沿岸部にて、文化財(黄色い点とオレンジ)・津波範囲(青)・斜面崩壊箇所(赤)を表示
→文化財総覧WebGISでの閲覧はこちら
※画面展開後、左サイドバーにて「表示切替」―「遺跡情報、木簡・墨書土器情報」に手操作必要です
画像2 石川県珠洲市、文化財(黄色い点とオレンジ)・斜面崩壊箇所(赤)を表示
→文化財総覧WebGISでの閲覧はこちら
※画面展開後、左サイドバーにて「表示切替」―「遺跡情報、木簡・墨書土器情報」に手操作必要です
(1)【モバイル】スマートフォン比率96.3%に:2010年は約4% ここ10年で急速に普及(2023年4月10日)
https://www.moba-ken.jp/project/mobile/20230410.html
(2)総務省 『情報通信白書』令和5年版
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r05/html/nd247100.html
(企画調整部主任研究員 高田 祐一)
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