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Book Review(1st) 中川理 『風景学 風景と景観をめぐる歴史と現在』

  「文化的景観」という概念は、いまだ、日本では一般的とはいいがたい。その一因に、「景観」という語が指し示す内容の曖昧さがある。「景観」といわれて普通に想定するのは、物理的な眺めのことであろう。けれども、文化的景観は、物理的な眺めを形成するバックグラウンドとしての生業と生活に力点が置かれた概念となっていて、眺めだけを採り上げようとするものではない。では、文化的景観における「景観」の語には、「眺め」の意味がないかと言えば、そうとは言い切れない。文化財保護法に規定される文化財としての「重要文化的景観」は、景観法による景観計画区域又は景観地区内に存するものであり、景観法に規定される「景観」は、概ね「眺め」が問題とされているからである。そもそも、「景観」の語は、日本ではいかに意味づけられ、どのような変遷を辿ってきたのか。その問題に明瞭な理解を与えてくれるのが、本書である。

  英文タイトルは、"landscape studies" ながら、和文タイトルは「景観学」ではなく、「風景学」。本書の視点は、このタイトルによく表れている。人間不在の客観的な眺めとしての「景観」ではなく、人間と眺めの関係を考えることに、著者のねらいがあるからだろう。この意味では、文化的景観の意図するところと重なる面が多い。「風景」と「景観」を巡る議論を時間軸に沿って体系的に整理しつつ、その背後にある社会的認識の変容をあぶり出しているが、常に意識されるのが、「風景」ないし「景観」を生み出す人間と眺めの間の距離感である。おおまかに言えば、眺める主体の主観によって成立する「風景」から、そのデザインとコントロールの意識の芽生えを通じ、眺めを客観的にとらえる「景観」概念が生まれ出るが、近代における場所性、共同体の喪失とともに、主客二元論の無効性が露わになっていく歴史がつづられる。

  風景と景観を巡る議論の教科書を目指したものだけあって、記述は淡々と進むが、そこは「ディズニーランダイゼーション」(中川『偽装するニッポン』彰国社、1995)の命名者、中川理である。近代の郊外開発において場所性が希薄になっていく過程で、場所性から切り離された、閉じた物語としての「シュミラークル」の風景が登場してくるが、これに絶望するのではなく、その可能性を拾い上げようとするのである。この件は、新郊外論としても読める。 本書には、外部からの視点に基づく「風景」「景観」だけでなく、居住者が生活の中で作り上げた景、特に都市計画研究者らが用いる「生活景」の概念も採り上げられている。都市域の文化的景観概念を考える上で、この概念は有益なものといえる。

  ただし、著者の問題意識は、共同体が喪失してしまった状況から、再び眺めに価値を見出しうるか、という点に重きが置かれている。要するに、主客二元論を越えた価値ある眺めの創出は可能か、ということである。その答えは明示されていないけれども、風景と景観への積極的な問題提起として、重く受け止めるべきだろう。
 (清水 重敦)

風景学 風景と景観をめぐる歴史と現在

著者 : 中川理
書名 :風景学-風景と景観をめぐる歴史と現在-
出版社 : 共立出版
出版年 : 2009

□目次 はじめに
1章 風景以前の「風景」
2章 「風景」の発見
3章 規範としての風景
4章 歴史が作る風景
5章 近代主義が作る眺め
6章 都市の風景化
7章 風景から景観へ
8章 集落と生活景
9章 郊外風景の没場所性
10章 仮構される風景
11章 生態的風景 
12章 自分が風景になる 
おわりに
参考文献

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