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似ずして是なるもの

 従来の考古学では、「似て非なるもの」を恐れるあまり、部分的な類似性にとどまるような現象には踏み込んだ評価を与えずに、同笵鏡や同笵瓦のように、高いレベルで共通したり一致するものを「是」とし、それを追究する方向性が重視されてきたように思います。ところが、少し前から私は、類似度はさほど高くなく、むしろ共通していない部分が少なからずある事例でも、その背景には重要な意味が潜んでいる場合もあるのではと思うようになってきました。私が学生時代から研究に取り組んできている埴輪から一例を示しましょう。

 埴輪は、当時の王権が存在した近畿地方が本場であり、発信源ですが、なぜか人物埴輪の優品は関東地方に多く、とりわけ群馬県には国宝・重要文化財に指定された埴輪の4割が集中しています。例えば、群馬県出土の武人埴輪では、甲(よろい)や冑(かぶと)だけでなく、刀や弓、さらには矢をいれる靫(ゆぎ)、矢を放った際の衝撃が腕に及ぶのを防ぐ鞆(とも)という小道具までが詳細に表現されています。

 一方、近畿地方ではそうした埴輪の外観よりも、製作の合理性を重視します。関東の人物埴輪では、腕の内部を空洞にせずにずっしりと粘土が詰まった状態で製作され、そのため全体の重量が非常に重くなるのに対し、近畿地方の人物埴輪の腕は内部を空洞にして軽くスマートに製作します。関東の埴輪工人たちは、外観には必要以上に手間暇をかけていますが、この近畿地方の洗練された腕の製作方法は知らなかったようです。

 問題にすべきは、関東の埴輪工人がスマートな近畿の埴輪製作事情をよく知らなかったという点ではありません。むしろ関東の埴輪工人はよく知らないがゆえに、「きっとこうあるべきだ」として必要以上に細部の表現にまでこだわり埴輪を作り込んだのではないでしょうか。もしも少々あかぬけた近畿の埴輪工人が外観にこだわる関東の埴輪をみたら、「そこまでせんでもええのに...」とぼやいたことでしょう。

 もう一例、よく似た事例を示しましょう。キトラ古墳の石室天井に描かれた天文図(図1)は、しばしば世界最古級の精緻さと評されますが、実際には観測図そのものではなく、天文図をもとに画師が石室に描いたれっきとした壁画です。その証拠に、キトラ古墳の「天文図」では、太陽の通り道である「黄道」の方向を間違えて左右(東西)逆に写してしまっていることが知られています。高松塚古墳とともに我が国で2例しか存在しない極彩色古墳壁画。その主題は、天文図(星宿)に加えて、日・月像や四神といった陰陽五行説を象徴する図像であり、古代中国の高度な政治思想に裏打ちされたものでした。

 ところが、本場中国・唐の壁画では、墓室の天井に星や日・月像を描くことはあっても、キトラ古墳のように天文図をそのまま写したような事例は皆無で、むしろ中国では星を点として無造作に配置するようなあり方(図2)が一般的なのです。おそらく、キトラ・高松塚古墳の壁画を描いた画師は、唐の古墳壁画をその目で直に見たことはなかったのでしょう。

 一方で、墓室の天井には天帝が支配する天井世界を描き、壁面には方位にそって四神や十二支を配置するという墓室壁画の知識だけは真摯に学んで取り入れたのでしょう。その結果、キトラ古墳の石室天井には、本場の唐以上に精緻な天上世界が描かれることになったのではないでしょうか。逆に言えば、この「似ずして是なる」壁画の存在から、当時の日本では、それほどまでに中国的な政治思想や支配理念の導入に真剣であった姿が読み取れると思うのです。とは言え、本場である唐の画師からは、「そこまでせんでもええのに...」とのぼやきがきこえてきそうではありますが・・・

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図1 キトラ古墳天井の天文図
文化庁ほか 2008『特別史跡キトラ古墳発掘調査報告』より

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図2 唐節愍太子墓天井の星図
陝西省考古研究所・富平県文物管理委員会編2004
『唐節愍太子墓発掘報告』科学出版社より

(都城発掘調査部考古第一研究室長 廣瀬 覚)

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