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上を向いて歩こう

2017年2月 

 昨年7月に奈良国立博物館から奈文研に異動したのに伴い、職場が平城京の外京だった奈良公園から平城宮跡に変わりました。奈良時代の官人の気分を想像しつつ朝日・夕日に照らされた大極殿や朱雀門を見上げながら職場と自宅を行き来しています。

 建物を見上げて最初に目につくのは屋根ではないでしょうか。建物を雨漏りから守るため、そして長持ちさせるため、古代アジアの屋根-特に都城や寺院などの重要な建物では茅など植物素材で葺いたものから瓦葺へと転換していきます。中国では3千年ほど前の西周の時代に焼き物で雨漏りがしやすい部分のみを塞ぐことを始め、これが瓦の嚆矢とされています。一方、日本には飛鳥時代に朝鮮半島の百済によって仏教の教えと共に寺院建築が伝えられ、飛鳥寺造営で初めて瓦葺の屋根が作られました。当時の日本人はその最新の建築に目を見張ったことでしょう。

 飛鳥寺の瓦製作は、渡来した百済の「瓦博士」が直接指導したことは有名で、軒瓦の文様には百済風の蓮花のデザインが採用されています。しかし、瓦を屋根に葺くためには、①建物の規模・数、屋根の形状に合わせて様々な種類の瓦の種類や大きさ、数量を予め計画、②工房はその計画を受けて、粘土をこね、形作り、乾燥させたら窯で焼くという生産活動、③出来上がった大量の瓦を工房から現場に運ぶ物流管理、④準備ができた瓦を下地が完成した屋根面に葺いていく…といった一連の作業が必要です。デザインや瓦の製作技術だけでなく、そうした様々な手順や技術も新たに渡来人から指導を受けたことでしょう。特に屋根を葺く作業における雨仕舞-雨漏りを防ぐための技術-に関しては柔軟性のある植物素材に比べ、硬い焼き物の瓦が格段に難しく、工人たちにとってこうした新しい技術は黒電話から急にスマホを持たされる程に高度なものだったに違いありません。

 奈良は世界最古の法隆寺をはじめ古代の建物がいくつも現存する場所ではありますが、長い年月の間に解体修理や瓦の葺き替えなどメンテナンスが繰り返し行われ、古代の屋根がそのまま残っている例はありません。古代の瓦葺の様子は出土遺物や伝来品から断片的に読み取ることしかできないのです。ただ、瓦を見ていると古代の工人たちが屋根に合わせて細かい調整を加えたり工夫を重ねたりしている様子を見て取ることができます。

 その後、現代に至るまで日本の瓦葺技術は非常に緻密に進化していき、本家の中国や朝鮮半島を凌駕してしまいます(現代の三者の瓦屋根を見比べると一目瞭然です)。日本の、細かく屋根に合わせて瓦を事前に準備し葺こうとする姿勢は古代から一貫しています。

 出土した瓦に残された痕跡が何を反映したものなのか…現代の瓦屋根から古代瓦葺のヒントが得られないかと街なかではついつい屋根を見上げてしまいます。時々電柱にぶつかってしまうのはここだけの話ですが。

 

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第一次大極殿

 

(都城発掘調査部主任研究員 岩戸晶子)