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東と西の鏡

2016年3月 

 みなさんはどのような鏡をお持ちでしょうか?今の鏡はアルミニウムや銀を蒸着したガラスで作られていますが、以前は銅に錫を加えた青銅で作られていました。

 中国では西周末(約3000年前)ごろに青銅製の鏡が登場します。鏡は円形で、姿を映す表の面はつるつるに磨かれていますが、裏の面には様々な意匠の文様が鋳出されており、中央に紐通しのあるつまみがついているのが特徴です。細長い持ち手のついた柄鏡(えかがみ)が登場するのは、ずっと後の宋代(12~13世紀)のことでした。

 把手のない鏡をどのように使っていたかについては、『女史箴図巻(じょししんずかん)』(原本4世紀後半)の中に見ることができます。この図巻には後宮につとめる女性の心得が画と詞で説かれおり、「容貌を飾るよりも心を磨くべき」という戒(いまし)めの詞と共に、化粧中の2人の女性が描かれています。一人は棒状の鏡懸(かがみか)けに取り付けた鏡の前に坐って侍女に髪をゆわせており、もう一人は手に取った鏡に顔を映し、化粧の仕上がり具合を確認しているようです。このように、当時は専用の鏡懸(かがみか)けに取り付けたり、つまみの部分を手に持ったりして鏡を使用していたことがわかります。

 一方でユーラシア大陸の西にあたる地中海沿岸からヘレニズム文化の及んだ中央ユーラシア、ならびにスキタイの地では、古代ギリシャ以来柄鏡(えかがみ)が使われていました。同じ鏡ではありますが、ユーラシアの東と西では違う形のものが使われていたことになります。興味深いことに、その中間の中央ユーラシアではその両方の鏡を確認することができます。現在、アフガニスタンで出土した文化財を紹介する『黄金のアフガニスタン』展が日本を巡回中です。そこで黄金遺宝が展示されているティリャ・テペでも中国前漢の鏡と柄鏡の両方が出土しています。福岡県の須玖岡本(すぐおかもと)遺跡の出土鏡から考えて倭人が初めて中国の前漢鏡を手にしたのが紀元前1世紀後半ですので、ほぼ同じ時期にシルクロード上のティリャ・テペの人たちも中国から伝わった鏡を使っていたことになります。

 ティリャ・テペの墓のうち3号墓には、多くの金の飾金具を縫い付けた服を着た女性1人が埋葬されていました。女性の胸の上には連弧文銘帯鏡(れんこもんめいたいきょう)と呼ばれるタイプの前漢鏡が置かれていましたが、足側の棺の外からは柄鏡が出土しています。柄鏡は針状の突起のついた丸い青銅鏡で、突起を円柱形の象牙の柄に挿して握りにしています。形の異なる2種類の鏡は、用途によって使い分けがされていたのでしょうか?また、この鏡に身を映した女性は発掘者が推定するようにイラン系遊牧民クシャーンの王族だったのでしょうか、そしてその顔立ちはと、興味が尽きないところです。

 

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柄鏡

 

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連弧文銘帯鏡
写真:大和文華館所蔵

 

(都城発掘調査部アソシエイトフェロー 大谷育恵)