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鳳凰文鬼瓦の復元案

2021年3月

 平城宮からは、これまでに3回の発掘調査(平城第11次・139次・429次調査)で、鳳凰の文様を施した鬼瓦が出土しています。このうち、第11次調査で出土した破片2点は最も残りが良く、鳳凰の上半身の様相がうかがえる重要な資料となっています。この破片は、1960年代に欠損部分を補填して復元されましたが、羽の復元に違和感があります。詳しく見ていきましょう。

 鳳凰の羽は、付け根付近にまとまった複数の装飾から成る部分と、そこから外に向かって広がる部分に分かれます。前者を雨覆羽(あまおおいはね)、後者を風切羽(かぜきりばね)といいます。ここで、向かって左側のオリジナルの雨覆羽を見ると、中心にヒトの耳のような形をした装飾(図2 青線部分)があることが分かります。しかし向かって右側の復元された羽では、耳の弧の部分を構成するはずの太い線が上に立ち上がり、尾羽と思われる線に繋がることで、辻褄が合わなくなっています。この太い線を右側に曲げると、左とほぼ対称の位置でオリジナルの線とぶつかり、耳形の装飾が成立します。

 では、上に立ち上がっていた太い線と繋がっていた部分は、どのような文様を構成していたのでしょうか。左側の羽の該当位置には、図2の赤線で示した文様があります。そこでまず、右側にもこれと同様の文様があったと仮定し、現存する線の形(図2 緑色部分)を踏まえて復元を試みます。図2のa・b・cの3パーツが内巻きの唐草状の文様を構成すると考えたものが、復元案1です。対して復元案2は、cを尾羽の先端とみなし、a・bのみで唐草状の文様を構成すると考えたものです。これら2つの案では、緑色部分の線の向きや形状が左側と異なるため、左右のバランスがやや悪く感じられます。そこで、右側に左側と異なる文様が施されていた可能性についても考えてみます。鳳凰文鬼瓦が製作された奈良時代に、首輪や宝珠とみられる装飾を身につけた華麗な姿の鳳凰文が盛行したことを踏まえ、宝珠のような飾りを施したものが復元案3です。この飾りによって、本来あるはずの渦巻状の装飾が隠れているイメージです。ちなみに、今回着目した2破片のうち、頭を含む上側の破片は、両脚を含む下側の破片に対し中軸線が5度ほど時計回りにふれた状態で接合されているように見えます。この傾きを補正すると、問題となっている欠損部分の空間は、仮に宝珠があっても十分なほどに開くことになります。

 以上3つの案を示しましたが、これらはあくまでも文様復元研究過程の状況であり、今後の研究により変更する可能性があります。今後の研究の進展を待ちたいと思います。

 

参考文献

飛鳥資料館編2010『キトラ古墳壁画四神』飛鳥資料館図録第52冊

網干善教1998「四神図の頸部装飾とその類型」『関西大学博物館紀要』No.4 関西大学博物館

網干善教2000「鳥形図の頸部にみる装飾文様について」『古代学研究』150号 古代学研究会

奈良国立文化財研究所編1976『平城宮発掘調査報告VII』奈良国立文化財研究所学報第26冊

 

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図1 鳳凰文鬼瓦

 

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図2 雨覆羽の詳細と復元案

(都城発掘調査部研究員 岩永 玲)

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