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教科書に残る仕事

2017年7月 

 先日、中学生の息子と娘が1学期の中間テストを控えて勉強をしていたので、歴史の教科書を見せてもらいました。写真やイラスト満載で教科書もビジュアルなものとなり、その内容も藤原京の大きさはおよそ4倍、貨幣についても和同開珎以前に富本銭が使われていたとする説があります、と記載されるなど、随分と様変わりしていました。このように教科書の内容を変えた要因は、みなさんご存知のように発掘調査の成果によるものです。

 建築の歴史においても、発掘調査が教科書の内容を変えてきました。法隆寺金堂をはじめとする飛鳥時代の寺院建築は、法隆寺建築と共通した様式や技法が用いられていましたから、法隆寺建築が飛鳥時代の様式や技法を示すものであると考えられてきました。しかし、今から35年前の昭和57年、奈良県桜井市にある山田寺の発掘調査によって、その考えは覆されます。この発掘調査では、回廊の建物が倒壊したままの状態で見つかりました。山田寺は7世紀中頃から後半にかけて造営された寺院ですから、法隆寺建築とほぼ同時期の建物といえます。しかし、山田寺回廊には法隆寺建築とは異なる様式や技法も用いられていました。その結果、法隆寺建築は7世紀のものとして普遍的なものではなく、あくまでも飛鳥時代の建築様式のひとつであることがあきらかとなったのです。

 平城宮跡の東院庭園でも現存する奈良時代の建物には見られない技法を用いて建物が復元されています。その技法は部材の角を削る、いわゆる面取りの技法です。現存する奈良時代の建物では、奈良県五條市の栄山寺八角堂で天井の上にある虹梁など、ごく一部に限り面取りが施されているのみで、全面的に面取りが施された建物はありません。角柱の面を取った建物となると、天喜元年(1053)に建てられた平等院鳳凰堂が最古となります。しかし、昭和51年、東院庭園の発掘調査で、大きく面を取った角柱の柱根が出土しました。この柱根は、一辺約42cmの角柱の約1/4の幅が面として削り取られていました。面の幅は平等院鳳凰堂で約1/6、一般に時代が遡るほど面の幅は広くなりますから、この柱根は奈良時代の比率を示すものと位置づけることができます。また、平成元年、東院庭園の南方、平城京左京三条二坊の発掘調査において面を取った斗のミニチュアが出土、奈良時代にも全面的に面取りを施した建物が存在していた可能性を裏付けました。その結果、東院庭園の中央建物や隅楼は面取りの技法を用いて復元されたのです。

 東院庭園では、五角形の形をした斗のミニチュアも出土しています。しかし、現存する建物において同様な部材を見つけることができません。このように現存する建物は、当時の建築様式や技法のすべてを今に伝えている訳ではないのです。であればこそ、今後も発掘調査によって教科書が書き換えられる可能性は十分に考えられます。

 このように発掘調査は、教科書に残る仕事ということができるでしょう。そう思えばこそ、日々精進を重ね、真摯に発掘調査に向き合わなければならないと、兜の緒を締め直す今日この頃です。

 

1.面取り柱.jpg

東院庭園で出土した面取り柱(横倒しの状態で出土したものを、立った状態に復元した状況)

 

 

2.面取り斗.jpg

面取りを施した斗のミニチュア(平城第200次調査)

 

 

3.五角斗.jpg

五角形をした斗のミニチュア(平城第99次調査)

 

(都城発掘調査部主任研究員 西山和宏)

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