なぶんけんブログ|奈良文化財研究所に関する様々な情報を発信します。

気付くことで見えること

2019年11月

 考古学研究などという風変わりなことを仕事にしてしまうと、普段の生活の中の景色の中でも人の活動の「かけら」を見つけてしまいます。道を歩いていても、ここは少し小高いから集落がありそうだナア、とか、あの地割は古そうダゾ、とか、あそこは意図的に地形を削って何か建てたのカナ、とか。「おそらく」というのは、そんな見方とともに長く暮らしてきた結果、元がどうだったのか、全く見当もつかなくなっているのです。自転車に乗れるようになった後で、自転車に乗れずにベソをかいたのが何故だったのか思い出せないように。

 道端に落ちている人々の活動の後、土器や瓦、場所によっては石器なども良く目につきます。ふっと拾い上げて、ああ、これは奈良時代前半の●●だな、鎌倉時代の■産の△×だな、と。一緒に歩いている人に教えると、こんなところにそのような昔の物が落ちているの?こんな小さなかけらで色々わかるの?と驚かれることがあります。

 今ほどの人口はなかったにせよ、様々なところで人は生活し、活動してきたので、そこかしこにその痕跡や使ったものが存在するのは不思議なことではありません。しかし、自分の周りにちらほら顔をのぞかせていることは、あまり意識されていないかと思います。そのような話をすると、目を輝かせてくださる方もいらっしゃいます。とても嬉しい瞬間です。

 とは言え、これは何も考古学研究者だけの話ではありません。魚屋さんなら魚の種類や鮮度を、施設保全をされている方なら建物の劣化を、世の中にはそれを見極める専門家が沢山います。それに比べると、考古学の見立てはよく外れますが。

 知ることで面白くなるのは、動植物や鉱物の採集にも似ています。昔、我が家の子供達と公園を散歩して土器の破片を見つけたら、数日後、子供達がいつも遊んでいる園庭や近所から沢山の土器を拾ってきてくれました。知っている、気付くことで、日々の空間や遊びの場の見え方が変わることを教わりました。勿論、なるべくそっとしておいてね、とお願いするのですが...。

 何気ない日常の風景でも、意識し、その痕跡に気付くと、新しい見方ができるようになります。勿論、それが視野を広げる場合もあるでしょうし、狭める危険もあるでしょう。そう考えると、同じ景色を見ていても、人それぞれ、光景もそこから得られる情報も異なっているのだなと気付かされます。私達はこれから、更にどのような気付きを得ることができるのでしょうか。様々なカケラを拾いあげながら、そう思います。


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子供達の拾ってきた破片。時期などを知ることができます。

(埋蔵文化財センター遺跡・調査技術研究室長 金田 明大)

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