2021年12月
21世紀の現代では、さまざまな日本製品が世界中に輸出されて使用されています。私は普段、東南アジアのカンボジアをフィールドにして調査をおこなっていますが、思いがけず日本の製品に出会うことがありました。
ある日、カンボジアのコンポン・チュナン州の文化財担当者の方から、「みなさんの調査地の近くのベン・クナー寺院(Wat Beng Khnar)から一括で大量の遺物が出土したので見に来てほしい」と連絡が入りました。後日、保管場所に行ってみると、そこにはたくさんの遺物が山積みになっていました。
調査を進めると、出土した陶磁器のうち完形に復元できたものだけでも97点、金属製品が63点、ガラス製品が66点、そしてコインは1545枚確認されました。発見されたコインのほとんどはフランス植民地時代のもので、1891-
1921年製のものでした。
次に山積みの陶磁器の中から目を引くものを見つけました。ほとんどが中国製だったのですが、その中に銅版転写の碗があり、高台裏を見てみると「高橋製 JAPAN」と書いてあったのです(写真1)。日本製!?と驚きましたが、その他にも「瀬産組製」「陶生軒製」の銘が入った碗や、蕎麦猪口など11点の日本産陶磁器を発見することができました。
調べてみると「陶生軒製」銘の碗(写真2)は、愛知県瀬戸市の窯で明治から大正時代にかけて生産されていた碗であることが判明しました。その他の日本産の陶磁器も同じ明治・大正期の特徴をもった碗で、一緒に出土したコインの年代とも時期的によく合致するものでした。
これらの遺物が出土したベン・クナー寺院では、木造の本堂の老朽化による建て替え工事を進めていました。本堂の基壇を解体していたところ、本尊が安置されていた場所の手前から今回の大量の遺物が発見されたそうです。カンボジアの民俗事例をたどってみると、寺院を建立する際に、地元の住民たちがお金や貴重品などを持ち寄って寄進し、それらを本尊前の土坑に納める地鎮儀礼が存在することが分かりました。今回発見された一括遺物も、おそらく1921年頃の本堂建立時の鎮壇具として埋納されていたものと推察されます。
明治から大正時代にかけて日本から輸出された陶磁器を、当時のカンボジアの方々が祈りを込めて寺院に寄進したのでしょう。今からちょうど100年前の日本とカンボジアのつながりを教えてくれた、ちょっと特別な調査でした。

写真1「高橋製JAPAN」の銘をもつ碗

写真2「陶生軒製」の銘をもつ碗
(企画調整部国際遺跡研究室 専門職 佐藤 由似)