2018年9月
宝亀3年(773)12月29日、狂った馬が平城宮的門の土牛・偶人と、弁官の役所の南門の限(シキミ)を食い破る。
『続日本紀』に記された一コマです。興奮して暴れる馬、役人たちのわたわたと慌てる姿が目に浮かびます。奈良時代の国家に関わる出来事を記したお堅い正史にあって、思わずにやりと笑ってしまうような珍事件です。食い破られた土牛・偶人は、追儺(ついな)と呼ばれる年末行事の飾り、限(シキミ)は扉を構成する建築部材です。
この話をとりあげたのは、平城宮から出土した遺物の再整理作業での、とある建築部材との出会いにあります。1980年(私が生まれた年!)の発掘調査(平城120次)で出土した礎板(そばん)です。多くの方にとって、礎板とは聞きなれないかもしれません。古代の建物の多くは、地面に穴を掘り、柱を立てる、掘立柱という工法で建てられていました。礎板は、建物の重さで柱が沈んでしまわないように、柱の下に据えた板材です。
この板は、平城宮東院地区の南面大垣に開く門SB9400Bの柱穴の底面に据えられていました。一方の端部は大きく丸く欠きこんであり、もう一端はノコギリで切り落とされています。さらに柱を据える平らな面を裏返してみると、丸い穴が1つ、対になった四角い穴が2セットあります。柱を上に据えるためには、関係のないものばかりです。実はこれが、シキミ、少し難しいですが、「閾」とも書きます。大きな丸の欠きこみを柱にあて、丸い穴が扉板の軸を受け、四角い穴が扉の枠を受けます。
さて、この門SB9400Bの前には、ほぼ同じ位置にSB9400Aと呼んでいる門が開いていました。もうお判りでしょうか、これはSB9400Aの部材かもしれません。SB9400Aは的門から東に150mほど。悪くない、冒頭の記事にある馬に食い破られたのは、もしやこの門か、と想像が膨らみます。まさか、と思いながら礎板に馬の歯形がないか探してみましたが・・・、残念!名探偵よろしく、動かぬ証拠だ、とまでは言えませんでした。それでも、立派な門の部材から、見えない地中で柱を支える礎板へとリサイクルされた板材が、およそ1300年の時を経て、正史にのった珍事件と向き合わせてくれました。正史と礎板、思わぬところでつながった奈文研の調査でした。
図1 SB9400B出土礎板の裏側
図2 扉廻復元図
出典:鈴木智大「平城宮東院地区出土の建築部材」『紀要2017』
(都城発掘調査部研究員 鈴木 智大)