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唇に墨をぬる

2022年4月

 みなさんは高松塚古墳壁画に描かれている人物の顔をじっくりと観察してみたことはありますか。

 7世紀末から8世紀初めにつくられた高松塚古墳の壁画に描かれる女子群像は「飛鳥美人」としても有名ですが、そのぽってりとした唇はとても印象的です【図1】。

 この唇は一見、墨の輪郭線と赤い顔料で描かれているように見えますが、赤い顔料の下には淡い墨がぬられていることがわかっています。高松塚古墳壁画で赤い顔料の下地として墨をぬっている箇所は、唇以外にも見られますが、赤い顔料だけで描かれた箇所もあるので、使い分けをしていることが考えられます。私もこの技法を試してみたことがありますが赤い顔料だけをぬったときに比べて、赤色に深みや厚みが感じられました。

 高松塚古墳壁画の人物を描いた画師は、ふっくらとした唇を表現するために赤い顔料の下に墨をぬったのかもしれません。

 ところで、唇に墨をぬっていたのは絵画の中だけのことではありません。実際にぬっていた人たちがいました。

 江戸時代後期の文化年間(1804~18)頃に、「笹紅(ささべに)」または、「笹色紅(ささいろべに)」と呼ばれる化粧法が流行し始めました。これは、下唇に紅を厚くぬり重ねて玉虫色、艶のある緑色に光らせるという化粧法です。このころに描かれた浮世絵でしばしば女性の下唇が緑色なのはこのためです。

 「紅」というと赤色を想像するかと思いますが、紅花から作られた純度の高い良質な紅は、何度も厚く重ねると玉虫色に光ります。当時の口紅は、紅猪口(べにちょこ)と呼ばれる陶磁器の茶碗や、紅板(べにいた)と呼ばれる携帯用の小さな容器などにぬられて販売されていました【図2】。このとき紅は容器に厚くぬられて乾燥させられているため、玉虫色に光っています。通常であれば、ここから湿らせた筆や指で少しずつ取って唇に赤色の紅を注します。笹紅はこの紅を何度も厚く、濃く重ねることで下唇を玉虫色に発色させました。

 しかし、当時は「紅一匁(もんめ)金一匁」といって、紅は金と同じくらい高価なものだといわれていました。そのため、紅を多く使うこの化粧法は裕福な家の女性や遊女しかできず、庶民は少ない紅で笹紅のように玉虫色に見せようと工夫を凝らしました。そこで考えられたのが、唇に墨をぬるという方法です。下地として唇に淡い墨をぬって、その上に紅を重ねることで、玉虫色に限りなく近い色をつくりました。お金はかからないように、でも流行を取り入れたいという、江戸時代の庶民の努力がうかがえます。

 「唇に墨をぬる」というのは、普段の私たちにはなじみがないかもしれませんが、時代を超えて、絵画や現実で取り入れられていた方法だと考えると面白いですね。

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【図1】高松塚古墳壁画 西壁女子群像(一部)

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【図2】筆者が所有する紅板(中央)。紅板は現在でも購入することができる。
紙にぬった紅(左)と肌にぬった紅(右)。

主な参考文献
松田孝子『婦人たしなみ草 江戸時代の化粧道具』ポーラ文化研究所 2002年
文化庁『国宝 高松塚古墳壁画』中央公論美術出版 2004年
山本博美『化粧の日本史』吉川弘文館 2016年

(飛鳥資料館アソシエイトフェロー 濵松 佳生)

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