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日本古代の"男同士の絆(ホモソーシャリティ)"

2020年11月

 日本古代宮廷の「男同士の絆」を研究しています。ホモソーシャリティと呼ばれもする、男同士の親密な関係性が、日本古代の史料にどんな風に出てくるのかが研究の最初でした。研究テーマとしては、結構無謀なのですが、実際に史料を読んでいくと、意外なほど記述が見つかります。

 このホモソーシャリティは、友情や師弟関係も含むので、かなり広い意味合いがある言葉なのですが、日本史ではなかなか研究されてきませんでした。しかし、『万葉集』や『日本書紀』、『続日本紀』をはじめとした史料を読んでいると、思わず想像してワクワクするような親密な関係性が驚くほどたくさんあります。

 例えば、『万葉集』4巻の572首には、満誓(まんせい)という沙弥(しゃみ、僧)が大宰帥(だざいのそち)であった大伴旅人(たびと)の帰京後に贈った歌として、

 「まそ鏡 見飽かぬ君に 後れてや 朝夕(あしたゆうべ)に さびつつ居らむ」

 と、いつも会っていたい君に残されて、朝夕に心寂しく思い続けるのだろうなとあります。離れてしまって寂しい気持ちを詠んだとされます。【図1】

 また、『万葉集』18巻の4074首は天平20年(748)3月15日に大伴池主(いけぬし)が大伴家持(やかもち)に贈った歌なのですが、

 「桜花 今ぞ盛りと 人は言へど 我れは寂しも 君としあらねば」

と、男同士の恋愛関係と読み取れるような、男同士の絆を詠んでいます。実は大伴池主と大伴家持は、他にもたくさんの恋の歌を交わしているのですが、「桜の盛りは今と人はいうけれど、あなたといないので、私は寂しい」とは、なかなか熱い表現ではないでしょうか。【図2】

 こんな歌が4516首の内、230件程度(筆者調べ)はあります。率にして大体5%程度ですが、自然を題材としたものや、男女の恋愛の歌もそれなりにあることを考えると、かなり多いような印象を受けます。

 『日本書紀』にも、親しくしていた相手への殉死という記事が十数件あります。病の「善友」小竹祝が亡くなったのを悲しみすぎて自死し合葬されたという天野祝という人物もおり、それは1840~2014の174年余は男色の罪の初見(阿豆那比(あづない)の罪)と誤解されてきました。それは男色の罪ではなく、二つの神社の神職が合葬されたことを指すと『日本書紀』に書いてありますよ!なんていう研究もしています。

 話は変わるのですが、私の祖父の命日は4月7日です。戦艦大和が沈没したのと、同じ日(57年後に病死)なのですが、聞けば大和で料理を作っており、なぜか最後の航海の直前に下船を命じられたとか。お葬式当時、高校生だった私には、男同士の絆など知りようがありませんでしたが、今は、これも戦友と命日を同じにしたい意志を読み取れると感じます。熱いホモソーシャルな関係があったのだろうな...等の思いを巡らすこの頃です。

 

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【図1】沙弥満誓と大伴旅人のイメージ

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【図2】大伴池主からの手紙を読む大伴家持のイメージ

(企画調整部アソシエイトフェロー 難波 美緒)

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