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古代北方騎馬民族の彩色文化

2024年1月

 ユーラシア大陸の東北部に位置するモンゴルでは、古代から遊牧を生業とする騎馬民族が栄えました。その中で匈奴(きょうど)民族は、紀元前3世紀から紀元後1世紀頃までの約400年間(日本では弥生時代)勢力を維持し、中国北部にまで影響を及ぼす巨大な勢力として発展をとげました。遊牧民族は、頻繁な移動により一ヶ所に定住しないため、定住民に比べて安定した文化を保有することが難しいという認識が一般的です。これはある程度正しい部分もありますが、考古学と歴史学による調査の積み重ねにより、最近は遊牧民族が使っていた文化の実態が少しずつ明らかになってきました。ここでは古代の匈奴民族が備えた彩色美術文化についての最近の文化財科学の調査内容を簡単にご紹介しましょう。

 今まで匈奴時代の遺跡で発見された遺物で、なんらかの彩色が施されたものは漆製品の食器類(図1)がほとんどでした。このような食器類は黒漆器に赤色で文様を施したもので、中国の秦(しん)(紀元前905~206)や漢(かん)(紀元前206~紀元後220)でも類似の遺物が確認されていることから、国家間の交流を示す重要な資料といえます。ここに使用された赤色顔料は蛍光X線分析(XRF)による元素分析とX線回折分析(XRD)による結晶構造分析の結果から、朱(しゅ)(HgS、いわゆる「水銀朱」)が使用されたことが明らかになりました。

 また、最近の発掘調査の成果により、これまで発見されていなかった種類の匈奴時代の遺物が多数確認されています。その中で注目すべきは、緑色など、これまで使用が知られていなかった「顔料」の存在です。上述のように、過去の調査で出土する彩色遺物のほとんどは朱を用いた漆器類でしたが、ここ数年間の調査により、木製の棺(ひつぎ)の蓋(ふた)に彩色を施すなど(図2)、使用例が多様であったことが明らかになりました。出土した遺物の彩色顔料に対するXRFおよびXRD分析の結果、緑色は緑青(ろくしょう)(Cu2CO3(OH)2)が使用されていることが確認されました。日本では古墳時代終末期に至ってはじめて緑青の使用が確認されますが、これを考えると、中国に隣接する古代の匈奴民族は、比較的早い時期から中国の彩色文化を取り入れ、表現を多様化させていたことが分かります。

 北方の草原を走る騎馬民族。一見荒々しいイメージを持つ方も多いと思いますが、このような繊細な技術で華麗な美術文化も使いこなした人々でした。いまだに謎が多い古代の騎馬民族について、今後もその謎が解き明かされることが大いに期待されます。

図1 モンゴル匈奴時代古墳出土漆食器の彩色(筆者撮影)

図2 モンゴル匈奴時代古墳出土木製の棺の彩色蓋片(筆者撮影)

(都城発掘調査部アソシエイトフェロー 柳 成煜)

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