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平城宮跡東方官衙の檜扇(ひおうぎ)

2016年9月 

 平城宮の東側には奈良時代の役所の区画が南北に連なっていた地区があります。平城宮跡東方官衙地区と呼んでいるこの範囲のうち中央よりやや南の区画を2008年12月から2009年2月にかけて発掘調査したところ、大きな楕円形の土坑が見つかりました。この土坑は東西約11m、南北約7mの大きさで、表面の土を剥がすとすぐにほとんど割れていない瓦や土器が高密度で出土することから、尋常でない量のごみが捨てられているのだろうということは容易に分かりました。瓦や土器の密集層を取り除くとその下から、焦げた木製品が出土しはじめ、さらに地表から約1mより下からは燃えていない生木の木屑がぎっしりと詰まっていることが分かりました。地下水位が高いために、薄い木屑すらも腐らずに生木のまま保存されていたのです。

 木屑の多くは当時の大工仕事に伴うものでしたがそれらに混じって、木簡やその削屑も多量に見つかり、最終的には数万点に及ぶ平城宮内最大規模の木簡群となる資料が得られたのです。その木屑層に混じって、さまざまな木製品が見つかりました。なかでも、檜扇(ひおうぎ)と呼ばれる薄板を閉じ合わせた扇が、少なくとも14個体も閉じた状態で出土したことは、これまでにない貴重な成果となりました。

 檜扇は檜や杉の細長い薄板を重ねて綴じ合わせた開閉自在の扇です。現在みられる木や竹に紙を貼りつけた扇は10世紀以降に出現するようですが、檜扇はそれ以前の形態の扇で、少なくとも奈良時代には出現していたことが分かっています。全国的にみると都城跡や国府跡、郡衙跡などの官衙遺跡で多く出土しますので、役人が身に着けていた服飾道具の一つであったと考えられます。

 この土坑から出土した長さ30.4㎝の最も大型の檜扇の薄板を慎重にめくってみましたら、どの薄板にも先端近くの両端に直径1mm程度の小さな穴が2つ開いていました。さらによく見てみると、その穴から直線状に茶色い付着物がみられます。これは薄板を綴じ合わせたひもの痕跡です。成分分析をしますと動物性繊維と分かりましたので、おそらくは絹糸でしょう。綴じ穴の位置とひもの痕跡をよく観察しますと、綴じ穴を通る紐は左を上にして交わり、左右いずれかの穴を通った紐は前後の板の左右逆の穴に繋がっているということが分かりました。その観察により試行錯誤のうえ、綴じ方を復元することができました。この綴じ方に基づいて檜の薄板で復元品を作成しましたところ、左右どちらにも大きくスムーズに開くうえに、開いたときに薄板の位置も固定できて安定してあおぐことができますし、閉じたときにも紐が緩みません。薄板の枚数は偶数でも奇数でも、1本の紐で綴じ合わせられます。とてもシンプルで機能的な綴じ方です。その綴じ方は、これまでの出土品、伝世品や現在も製作されているものと比較しても、類例のないもので、新しい綴じ方が確認されたわけです。

 さらに面白いことも分かりました。10世紀に成立した平安時代の儀式書『西宮記(さいきゅうき)』には、夏に天皇が臣下に扇を配る慣例があり、その扇は衛府によって天皇に進上されていたということが記載されています。ところで、檜扇がたくさん見つかったこの土坑は、木簡の内容から宝亀年間(770‐780)の宮城を警備する衛府(えふ)に関わるごみ穴ということが分かってきました。檜扇がこれほどまとまって出土した例は平城宮・京でもこの土坑のみです。とすると、衛府が天皇に扇を進上する習慣が、あるいは宝亀年間にまで遡る可能性を示しているのではないでしょうか。

 このごみ穴の木屑は土ごと取り上げられて、その数は2800箱にもなりました。発掘から8年経った今でもまだ水洗作業が続けられています。まだまだ知られていない古代の貴重な情報が、このごみ穴の中に詰まっているように思われます。

 

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平城宮跡東方官衙地区出土の檜扇

 

 

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新しく分かった檜扇の綴じ方

 

(都城発掘調査部 主任研究員 国武貞克)

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