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法華寺境内の庭園群

2020年8月

 平城宮跡のすぐ東に位置する法華寺は、光明皇后が父・藤原不比等の邸宅を「宮寺」に改めたことに始まる尼門跡寺院です。近世には「氷室御所」とも称され、現在の本堂の北西には歴代門主の住まう「御殿」が営まれました。

 この「御殿」の中心的な建物である客殿(県指定文化財建造物)は、寛文13年(1673)に当時の住職であった高慶尼(近衛信尋息女)が、この地に移築・整備した建物です。その周辺には、前庭・内庭・主庭からなる法華寺庭園(国指定名勝)が展開しています。

 前庭は、本堂の東に建つ中門から、客殿玄関に至るアプローチとしての庭園で、敷石道の傍らにマツが並ぶ整然とした様と、玄関前では仙洞御所から下賜されたと伝わる紅梅が美しいことで有名です。内庭は、客殿書院の南に設けられた小さな平庭で、高欄と階段のつく縁の前に広場が配される様は、御所の紫宸殿南庭を思わせます。主庭は、客殿の西に設けられた「上の御方(かみのおかた)」という格式の高い部屋から眺める池庭で、屏風のように仕立てられた高生垣を背景にやさしい印象の枯滝石組が組まれます(図1)。5月には杜若が水辺を彩り、木漏れ日の差す池の周りの園路を散策することもできます。このような3つの庭園空間は、荘重/閑雅/優美とも評されました。

 さて法華寺境内には、それ以外にも複数の庭園があり、特に境内東部から東北部にかけては、庭園が連なる緑に包まれた心地よい空間が広がっています。

 かつて、このあたりには、国指定有形民俗文化財のカラブロ(浴室)が建つのみで、周りは長らく畑地となっていました。昭和46年に当時の住職であった久我高照門跡が、月ヶ瀬で取り壊される予定であった民家(現・光月亭、旧東谷家住宅(県指定))を当地に移築したことを端緒に境内整備が進み、2年後の昭和48年には、光月亭の南に茶室・慶久庵とその庭園が造られました。この慶久庵庭園と光月亭のある空間は、生垣によって区画されていますが、実は光月亭を大寄せの待合とし慶久庵で茶を供する、という外露地/内露地の関係にあります(図2)。加えて光月亭の西には、昭和26~29年の本堂解体修理に際し仮本堂となった東書院とその庭園が、東には昭和59年に大阪から移築された大正期の良質な和風建築とその庭園があり、毎年、春のひな会式に際し、これらの建物や小庭園を行き来しての茶会が催されています。

 明治後期から大正期にかけて営まれた近代数寄者の庭園の中には、広大な庭園の見どころとして歴史的建造物や礎石などの石造物を移築して配置するものがあり、横浜本牧の三渓園がその代表的な例です。これらの建造物や石造物は、庭園の構成要素となったことで、結果的に現在まで維持管理され遺されたとも言えます。

 法華寺境内の庭園群には、滅失の危機にさらされた建造物を境内地に受け入れ、周辺を露地として整備して活用することで、継承を図ろうとする意図が込められており、庭園が文化財の保存活用に果たし得る役割について考えさせられます。

 

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図1 法華寺庭園(主庭)

 

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図2 慶久庵庭園から光月亭を望む

(文化遺産部研究員 高橋 知奈津

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