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モンゴルの兵馬俑 "Shoroon Bumbagar"

2019年5月

皆さんが「兵馬俑」という言葉を聞いたとき何を連想されるでしょうか? おそらく、多くの人は中国の秦の始皇帝陵をすぐに思い浮かべるのではないかと思います。確かに、始皇帝陵の兵馬俑は世界的にも有名で、質・量ともに群を抜いています。しかし、兵馬俑は始皇帝陵だけで発見されているわけではありませんし、ましてや中国だけに存在しているものでもありません。

2011年、モンゴルでも古墳に副葬された兵馬俑が発掘され、大きな注目を集めました。その古墳はボルガン県バヤンノル村に位置するオラ―ンヘレム遺跡の「ショロンバンバガル古墳」(Bulgan県Bayannuur村Ulaan Kherem遺跡Shoroon Bumbagar古墳)です。モンゴルの時代区分からみると、約7世紀頃の突厥時代に相当します。「ショロンバンバガル古墳」は、地面から墓室までの進入路の長さが42mもあり、壁には壁画が描かれています。発掘中、墓室からは、まさにモンゴルの兵馬俑である約120点の塑像群や、約190点の副葬品(金製品、銀製品、銅製品、木製品、織物、古代ビザンチンのコインなど)が出土しました。

ここで発見された約120点の塑像は人物像と騎馬像等、様々な形を持っており、どれも華麗な彩色が施されています。私は2016年からこの塑像に施された彩色の顔料の分析調査を実施してきました。まだ一部に過ぎませんが、少しずつ突厥時代に使用された顔料の実態が明らかになってきています。その中で、印象的な部分は、炭酸鉛(白色)、鉛丹(赤色)などの鉛系顔料が使用されていることです。これまでの調査結果から、突厥以前の時代(匈奴、鮮卑時代)までは、白色顔料としては炭酸カルシウム系の顔料が、赤色顔料としては水銀朱または酸化鉄系の顔料が確認されているものの、鉛系の顔料は発見されていませんでした。突厥時代に入って初めて鉛系顔料の存在が確認されたのです。これは古代モンゴルでの顔料の使用において大きな変化の時期と言え、顔料の製作技法の進化及び交易関係など多角的な方向からの影響が考えられます。同時期の日本と韓国が唐からの影響を受ける中で、鉛原料の顔料が伝来されたように、モンゴルも唐との交易関係で顔料が伝来された可能性もあります。古代モンゴルの顔料の研究は、まだ緒に就いたところであり、たくさんの研究課題があります。この「ショロンバンバガル古墳」の塑像もまだ分析されていないものが多数眠っています。古代モンゴルと周辺諸国との交流の様子が顔料の分析からも垣間見ることができるのではないでしょうか。今後の調査でどのような結果が出るのか楽しみです。

 

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図1. 「ショロンバンバガル古墳」出土塑像群

(埋蔵文化財センターアソシエイトフェロー 柳成煜)

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