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地形と道路にみる西大寺の名残

2023年4月

 奈良から京都・大阪、そして平城宮跡資料館へ行くときは、近鉄の大和西大寺駅が大変便利で、私もよく利用しています。近年、大和西大寺駅周辺で再整備が進んでいますが、駅のすぐ西には、奈良時代後半に称徳天皇の発願によって建立された西大寺の伽藍が広がっていました。

 現在の西大寺は、鎌倉時代以降に復興した姿を今に伝えていますが、奈良時代の西大寺の中心的な建物は、現在とは異なる場所にありました。創建期の伽藍を偲ばせるものとしては、今の境内に東塔や四王堂の基壇が残るのみですが、近年の発掘調査によって地下に眠る大伽藍が少しずつ姿をみせつつあります。

 西大寺の発掘調査成果については、これまでのなぶんけんブログでも何度か紹介されていますので、あわせてご覧いただければと思います。

(73)姿を現した西の大寺(上)
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/12/tanken73.html
(74)姿を現した西の大寺(下)
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/12/tanken74.html
西大寺の復元CG「平城京のまちなみ紹介~奈良時代の都のしくみ~」
https://youtu.be/rpTJSJ58WXE?t=251

 さて今回は、発掘調査成果をもとにわかった西大寺創建時の壮大な伽藍の痕跡を、地形と道路に見つけてみたいと思います。

 図1・2は、資財帳(お寺の財産目録)の記述や、近年の発掘調査成果をもとに復元した、奈良時代の西大寺の伽藍図です。図3は、西大寺周辺の現地形の高低差を色の違いで表した地図になります。これらの図をみながら、西大寺の中心である金堂院に注目して、ふたつだけご紹介したいと思います。

①弥勒金堂の基壇をよける道路
 西大寺金堂院には、かつて二つの金堂がありました。そのうち、北側に位置するのが弥勒金堂です。図2をみると、弥勒金堂推定地周辺の道路で、不自然に曲がりくねったクランクがあります。これは、弥勒金堂が廃絶したあと、その基壇(建物の基礎となる土壇)をよけるように道路がつくられた結果と考えられます。

②薬師金堂の基壇の高まり
弥勒金堂の南、金堂院の中心に建てられたのが薬師金堂です。図2をみると、薬師金堂の部分が周辺(黄色)よりも高まっている(オレンジ色)ことがわかると思います。発掘調査をおこなった結果、この高まりは、薬師金堂の基壇そのものであったことが明らかになりました。

 宅地化が進んでいる西大寺周辺ですが、①と②でご紹介した弥勒金堂と薬師金堂の間は、一段低い田んぼが残っています。田んぼの西側の道路から東を向くと、田んぼの左(北)に弥勒金堂が、右(南)に薬師金堂の跡地があり、金堂院の大きさを実感することができます(写真1)。

 西大寺周辺では、今回紹介したもの以外でも、近世や中世、そして奈良時代の平城京にまでルーツをさかのぼることができる道路が残っています。みなさんも西大寺に立ち寄った際には、地図と伽藍復元図を片手に奈良時代の西大寺の名残を探し歩いてみませんか?

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図1.発掘調査成果にもとづく西大寺伽藍復元図
奈良文化財研究所作成(同図は『紀要2014』に掲載)

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図2.発掘調査成果にもとづく西大寺金堂院復元図
奈良文化財研究所作成(同図は『紀要2014』に掲載)

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図3.地形と道路からみる西大寺金堂院の名残
地理院地図(自分で作る色別標高図)を加工して筆者作成

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写真1.西大寺金堂院跡を偲ぶ(西から)
筆者撮影(2023年3月撮影)

(都城発掘調査部研究員 田中 龍一)

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