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西隆寺とその塔

2017年11月 

 現在の近鉄大和西大寺駅北口付近に西隆寺(さいりゅうじ)という寺院があったことをご存じでしょうか? 僧寺である西大寺に対する尼寺として、神護景雲元年(767)頃に造営が開始された国家官寺ですが、その後の歴史は明確でありません。元禄11年(1698)に作られた「西大寺伽藍絵図」に西隆寺が描かれています。南大門・金堂・講堂を南北一直線上に並べ、三重塔を金堂の東前方に配した整然とした伽藍ですが、西隆寺は鎌倉時代には廃絶していますので、ここに描かれた建物は、ありし日の西隆寺を想像して描いたもののようです。

 そんな西隆寺に日の目が当たったのは、周囲の開発にともなう発掘調査で遺構が見つかったからでした。昭和46年(1971)、はじめて金堂と塔、東門などが発見され、その後も金堂を囲む回廊、性格が明確でない南北一対(2本)の太い掘立柱などが見つかっています。ここではそのなかで、塔の遺構とその建物について紹介します。

 塔の遺構とみられているのは、一辺が6m前後の掘込地業(ほりこみじぎょう)という地盤改良の痕跡です。瓦葺の重い建物を建てるには、しっかりとした基礎(基壇と言います)が必要ですが、地盤があまり良くない場合、基礎に当たる部分を掘り込んで、そこに粘土や砂を層状に入れて突き固める版築(はんちく)という工法で地盤改良を施すことがあります。これを掘込地業と言います。掘込地業のあとは、通常は地上に突出する部分にも連続させて基壇を築きます。最終的には地上に施した版築の外側を玉石や切石、あるいは瓦などで覆う基壇外装(きだんがいそう)を施します。このため、掘込地業の大きさがわかれば、およそ基壇の大きさがわかるのです。西隆寺の塔は、掘込地業の規模から基壇の大きさが6m前後と想定できました。

 この6mという大きさ。じつはきわめて小さいのです。屋外に現存する最も小さな木造塔は室生寺五重塔(奈良県宇陀市)で、基壇の一辺は5.6m、基壇上からの高さは16mほどです。興福寺五重塔の1/3ほどしかありません。西隆寺の塔は、基壇がわずかに大きいですが、絵図に描かれたような三重塔であれば、室生寺五重塔より低い塔だったかもしれません。見つかっている金堂や東門は、国家官寺として立派な規模をもっているので、塔の小ささが目立ちます。本当に塔なの?という疑問の声を上げたくもなりますが、代案が浮かびません。

 この塔の遺構、開発で破壊されず、現地に遺構の表示がなされています。このほか東門や回廊の遺構も、現地に看板などが設置され、また柱位置が床に表示されていたりします。大和西大寺北口周辺で西隆寺跡の表示を探してみてください。ひっそりと古代寺院の痕跡を主張していますよ。

 

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西大寺伽藍絵図中の西隆寺の伽藍(出典は『西隆寺発掘調査報告書』奈文研、1993年。原本は西大寺所蔵)

 

 

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西隆寺塔跡の遺構表示

(都城発掘調査部遺構研究室長 箱崎和久)