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鴟尾を屋根にどうのせるか?

2022年2月

 鴟尾(しび)とは、宮殿や仏殿などの瓦葺き屋根のてっぺんに、シャチホコと同じく大棟(おおむね)両端にのる飾りです。2010年に復原された平城宮第一次大極殿、来月(2022年3月)に竣工する予定の南門にも、金色に輝く金銅製の鴟尾がのっています。皆さんには馴染みが薄いかもしれませんが、今回はその鴟尾を屋根にどう据えるのかという、さらに馴染みが薄いテーマについて考えてみましょう。完成してしまえば、屋根の上の小さな一画のため、言われなければ気にとめないテーマと思いますが、このような細部まで検討を重ねている復原研究のプロセスを、ぜひ知ってほしいと考えてご紹介いたします。

 平城宮第一次大極殿院の復原事業で、南門の次に復原される予定の東楼にも、屋根に鴟尾がのります。これまでの復原建物と大きく異なる点は、屋根のかたちです。大極殿や南門が入母屋(いりもや)造の屋根で復原されたのに対して、東楼は寄棟(よせむね)造の屋根で復原されます。そのため、これまでとは違う屋根のかたちに、鴟尾をどうのせるかが課題となってきます。

 奈良時代の建物で、寄棟造の屋根に鴟尾をのせているのは、天平の甍として有名な唐招提寺金堂のみです【図1】。唐招提寺金堂では西側に奈良時代、東側に鎌倉時代の鴟尾をのせていました。平成の大修理(2000-2009年)以降は唐招提寺新宝蔵で展示されています。東大寺大仏殿やその他寄棟造の屋根で鴟尾をのせる建物は、この唐招提寺金堂の据えかたを真似しています。単純に考えれば、この据えかたを参考にすれば簡単です。ところが、唐招提寺金堂はたび重なる屋根の修理を経ているため、鴟尾は奈良時代であっても、据えかたは後世に改変されている可能性が高いのです。

 一方、中国には、奈良時代と同時期の唐代に描かれた絵画資料の中に、寄棟造の屋根に鴟尾が据えられているものがあります【図2】。斜めに降りていく隅棟(すみむね)との関係を、現在の唐招提寺金堂と比べると、鴟尾がより外側に座り、高さも下がっていることがわかります。しかし、絵画資料であるため、建物をどこまで写実的に描いているのか、この据えかたで鴟尾は安定するのかといった問題や、そもそも日本と中国の違いではないのかなどという意見があり、これもまた決め手に欠けます。

 このような議論をふまえて、今年度(2021年度)は1/3縮尺の模型を製作しながら、実際にどのような据えかたが奈良時代として妥当かを検討しています。かなり限られた資料をもとに復原しなければならないため、建築史研究者、考古学研究者、修理技術者、瓦職人など、さまざまな専門家が集まり、皆が納得する据えかたを模索しています。現在は上記のような絵画史料をもとに鴟尾をのせると、鴟尾が不安定になってしまう可能性があることが、分かってきました。絵画資料から得られる知見を実際の施工にどれだけ反映させることができるか、その据えかたの技術的な核心はどこなのかを見きわめたいと思っています。

 このように、復原研究のプロセスの一つひとつにも裏づけとなる考え方があります。細かな話ではありますが、完成した復原建物だけでなく、そこにいたるプロセスにも興味をもっていただければ嬉しい限りです。

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図1 唐招提寺金堂 西側鴟尾 南側から
(『日本古代の鴟尾』奈良国立文化財研究所飛鳥資料館 1980年より)

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図2 中国西安市慈恩寺大雁塔門楣石刻画 唐代
(西川寧編『西安碑林』講談社 1966年 よりトレース)

(都城発掘調査部アソシエイトフェロー 大和 祐也)

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