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平城宮第一次大極殿院南門前の射礼について

2022年1月

 毎年1月中旬に京都の蓮華王院本堂、すなわち三十三間堂前で「大的全国大会」が行われ、晴れ着の新成人が距離60m先の遠的を狙い、矢を放ちます。三十三間堂の軒下約121mで矢を射通す、江戸時代に盛んだった通し矢に因む年中行事です。

 弓術に関わる年中行事は、君臣の秩序と臣下の服属を表現する、射礼(じゃらい)と言う古代中国で行われた儀礼に起源があり、唐や新羅でも行われていました。礼を重んじる儒教の経典の中で特に重要とされる四書五経の中の『礼記(らいき)』射義には弓術の心構えなどが記されています。

 古代日本でも射礼が行われていたことを『日本書紀』や『続日本紀』で確認することができます。平城宮に関わる記事は9件しかありませんが、年中行事なので記録になくても毎年行われていたと考えられます。奈良時代の射礼は正月十七日頃に、平城宮の中央にある大極殿院南門に天皇が出御し、その前で全官人が的を射るという行事で、新羅や渤海の使節も参加することがありました。天皇中心の律令国家において、天皇の前で全官人が弓射をもって天皇に奉仕するという礼的な秩序を表現した儀式ということになります。

 奈良時代の儀式を復元する上で確実な内容は限られていますが、前後の時代の史料も使うともう少し内容が豊かになります。例えば、的に当たった場合のご褒美(賜禄)については慶雲3年(706)正月17日条に詳細な規定があり、重ねて当たると倍になると記されていることから、奈良時代も藤原宮期と同様に2回射ていたことが想定できます。また、的までの距離については『続日本紀』などに記載は見られませんが、平安時代の儀式書『内裏儀式』を参考にすると、四十歩、すなわち約72mの距離の的を射ていたと考えることができるのです。

 さて、奈良時代前半、天皇が出御した射礼の舞台は第一次大極殿院の南門でした。その復元工事は今年3月には終わるようです【写真1】。私はこの舞台で歴史的脈絡に因んだ3つの内容をもつ企画ができれば良いなと思っています。

 一つ目は、ここで当時の儀式を再現することです。復元された建物に古代衣装を着た天皇役が座し、官人役が朝庭で弓を射ると、当時の使い方を追体験でき、場所や儀式の持つ意味が明らかになるからです【写真2】。

 二つ目は、外国の使節も参加したことに因み、弓術の地域性や国際性について体験できる機会を持つことです。

 三つ目は、全官人が参加したことに因むもので、弓道経験者による市民参加型のイベントです。2010年の平城遷都1300年祭の中では、平城宮東区朝庭部分、すなわち奈良時代後半の第二次大極殿院南門の前で第61回全日本弓道遠的選手権大会が行われました。一度だけでしたが、本来的な場所に因んだ有意義な企画でありました。このため南門が、三十三間堂のように正月の晴れの日に弓道のイベントをする空間としても親しまれ、それが年中行事として定着し、そんな光を観る観光に結び付いたら良いなと思っています。

 第一次大極殿院南門はお役所が造った復元建物ではありますが、これからは市民が主体となって使っていくという発想が必要です。ただし、その活用の在り方は取って付けたかのようにならないために、その場の歴史的脈絡に因むことが遺跡の品格にとって大切だと考えています。

【写真1】復元された第一次大極殿院南門

【写真2】第一次大極殿院南門前での射礼のイメージ
(背景は朱雀門 2013.11.2 平城京天平祭にて)

参考文献

拙稿「歴史的脈絡に因む平城宮跡の活用方法」『令和2年度遺跡整備・活用研究集会報告書 歴史的脈絡に因む遺跡の活用 -儀式・行事の再現と地域間交流の再構築-』独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所、2021年3月、pp.5-18

https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/91361

(文化遺産部長 内田 和伸)

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