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文様のはるかな旅路

2021年11月

 昨今、ナツメヤシの果実を干したデーツが健康や美容によい食べ物として注目されているようです。実際、輸入食品を扱うお店にはいろいろな種類のデーツが並んでいるのをみかけます。デーツの味はあんこや干し柿に似ていて食べやすく、満足感もあるので、罪悪感の少ないヘルシーなおやつとして、私も大変重宝しています。

 ナツメヤシは西アジアでは古くから栽培されていましたが、日本で広く知られるようになったのはごく最近です。しかし、ナツメヤシは文様としてすでに7世紀前半には日本にもたらされていました。

 パルメット文とよばれる文様があります。この文様はナツメヤシの樹形が祖型といわれています。そのルーツは西アジアにあり、中国、朝鮮半島を経由して、日本に入ってきました。パルメットには扇を広げたような全パルメット【図1上】と、それを半分した半パルメット【図1下】があります。これらは日本では古代の仏像の光背や、瓦文様などにみることができます。

 パルメットを用いる瓦文様のひとつに、変形忍冬唐草文軒平瓦があります。主に藤原宮や本薬師寺で用いられる複雑な文様ですが、これは法隆寺にある伝橘夫人念持仏厨子の須弥座上框(うえがまち)に描かれているような文様がもとになっていると考えられています【図2上】。パルメットは半分だけの半パルメットです。ただ、これがナツメヤシだとすると、少し奇妙です。半パルメットと茎の間には蕾がありますし、なによりパルメットが茎から出ていて、ヤシよりも蔓植物に近い印象を受けます。

 ナツメヤシは寒さに弱く、乾燥を好むので、東アジアではほとんど生育していません。パルメットは西アジアから東へ波及するなかで、文様のみがもたらされ、それぞれの地で身近な植物と結びつきながら図案化されていったのでしょう。古代の日本でも、パルメットの祖型が何なのか、人々は知らなかったと思われます。

 さて、この流麗な文様を瓦の文様にする際には、大幅な図案化をしています【図2下】。それでも最初の変形忍冬唐草文をみれば、渦を巻いた萼(がく)や半パルメットの花弁、茎とパルメットをつなぐ葉状の結節やくさび形の蕾が大胆に簡略化されつつも的確に表現されていることに驚きます。これを図案化した人は、もとの文様を構成するパーツが何かをきちんと理解していたのでしょう。

 変形忍冬唐草文軒平瓦は当初は本薬師寺や大和にある藤原宮の瓦窯で生産され、文様は和泉や近江、淡路、讃岐など遠隔地にまで広がります。各地に広がる中で、当初の文様がもっていた意味は徐々に失われ、伝言ゲームのように文様だけが写された結果、最終的には原型とは大きく異なる変形忍冬唐草文に変化しました【図3】。もはやこれはパルメットなのか戸惑うようなしろものですが、もとの文様に似せようと一生懸命文様を写す古代の工人の姿を想像すると何ともいえない親しみを感じます。

 このように西アジアで生まれたパルメットは、はるばる日本までやってきて、さらに独自の変化を遂げました。パルメットのはるかな旅路を思いつつ、デーツを食べるとまたおいしさもひとしおで、ついつい食べ過ぎてしまいそうです。


※変形忍冬唐草文軒平瓦の文様の変遷は、現在開催中の飛鳥資料館の秋期特別展「屋根を彩る草花―飛鳥の軒瓦とその文様」でみることができます。
展示期間は2021年12月19日(日)まで。月曜日は休館。

■飛鳥資料館秋期特別展「屋根を彩る草花―飛鳥の軒瓦とその文様」
https://www.nabunken.go.jp/asuka/kikaku/post-42.html


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【図1】高句麗・江西中墓に描かれたパルメット文(スケッチ)

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【図2】法隆寺所蔵伝橘夫人念持仏須弥座のパルメット唐草文(スケッチ)と
変形忍冬唐草文軒平瓦の内区唐草文

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【図3】変形忍冬唐草文軒平瓦の文様の変遷

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【図4】飛鳥資料館秋期特別展「屋根を彩る草花―飛鳥の軒瓦とその文様」の展示風景

参考文献
八賀 晋・田辺征夫1976「瓦の検討」『飛鳥・藤原宮発掘調査報告Ⅰ』奈良国立文化財研究所
(図1・図2上のスケッチは八賀・田辺1976を一部改変)

(飛鳥資料館 主任研究員 石田 由紀子)



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