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様式主義のハイテック

2018年9月 

 関西といえば、古代建築をはじめ古建築の宝庫ですが、明治以降につくられた近代建築もまた多く残っています。特に大阪には、大大阪時代と呼ばれた大正後期から昭和初期に建てられた、優れた近代建築が多く残っています。この頃の建築の主流は、ヨーロッパの建築様式を駆使してつくられる様式主義建築でした。日本では明治以降、近代国家を飾るに相応しいこの様式主義をいかに受容するかが課題でしたが、大正後期にもなると建築家たちは様式を完全にマスターし、様式表現の深化を進めていきました。この時代に優れた様式主義建築が多い所以です。

 一方、この頃は、ヨーロッパを中心に様式主義建築に対し、近代社会に適していないと批判が行われ、より合理的で近代的な生活・技術に即した建築デザインが求められるようになります。これはモダニズムと呼ばれる大きな動きで、日本にもそうした考えが同時期に入ってきました。当時の若い日本の建築家はヨーロッパと同様に、様式主義建築を古い表現として批判し、新たなモダンな建築表現を目指しました。

 さて、当時の新進気鋭の輩には古臭いと批判されましたが、間違いなく日本の様式主義建築の到達点のひとつとして挙げられるのが、昭和6年(1931年)に大阪につくられた綿業会館です。大大阪の立役者ともいえる紡績繊維業界の倶楽部建築で、総工事費は130万円であったといわれています。同時期に再建された大阪城の工事費が47万円ですので、破格の工事費であったことがわかるかと思います。当時東洋紡専務であり昭和2年に亡くなられた岡恒夫氏の遺言により100万円が寄付され、建てられました。

 設計者は渡辺節。渡辺は、様式の名手として名を馳せた建築家で、潤沢な工事費のもと、腕をふるい、様々な様式をこの建築の中に凝縮させました。外観はイギリスルネッサンス、玄関ホールはイタリアルネッサンス、2階談話室はジャコビアンスタイル、貴賓室はクイーン・アン・スタイル、会議室はアンピールスタイル、大会場はアダムスタイル等々、普通なら破綻してしまうほどの様々な様式を採用しながら、洗練した一つの建築にまとめ上げた渡辺の力量には驚嘆してしまいます。まさに様式主義の金字塔といえる建築でしょう。

 しかし、この建築をこうした目に見える部分だけで評価するのは尚早です。この建築には様々な当時最先端の技術や考え方が投入されてつくられているのです。

 当時、冷房空調は日本ではほとんど導入されていませんでしたが、渡辺は将来的に冷房空調が導入されることを見越し、各階のダクトスペースと地下機械室のスペース確保を当初から行っていました。実際に戦後、内部の改変を行うことなくスムーズに冷房機の導入が行われました。

 大会場の設計では、当時珍しい音響計算を実施し、日本では使われていなかったアメリカ製の吸音セロテックスタイルを使い、音響設計を行っています。また、外まわりでは、当時主流であった防火シャッターの代わりにフランス製のワイヤーガラスを使用し、耐火性能を高めてあります。このワイヤーガラスのおかげで、実際に第二次世界大戦の際に防火の役割を果たし、焼失を免れました。この他にも、合理的な平面プラン、耐力壁付きRC構造、施工効率を高めるためのテラコッタやプラスターの多用等々、極めて先進的な考え方により綿業会館はつくられていたのでした。

 様式主義の鎧をかぶったハイテック建築、このように綿業会館を呼ぶこともできましょう。こうした最先端のテクノロジーと考え抜かれた合理的な計画に支えられ、この建築は色褪せることなく現在も使われ続け、街並みに彩りを与えています。

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綿業会館外観(西から)

(都城発掘調査部研究員 前川 歩)

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