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鞍馬炭と木の芽煮

2020年4月

 京都市北部の鞍馬は鞍馬寺の門前町として有名ですが、京の七口の一つである鞍馬口と鞍馬を結ぶ鞍馬街道、そして鞍馬から若狭を結ぶ若狭街道との結節点だった場所でもあります。『近畿歴覧記』(黒川道祐、貞享期頃か)に「樓門ノ前ニ家アリ、酒食ヲ賣リ、幷ニ山椒ノ皮、木ノ目漬黒木薪柴炭等ノ物を賣レリ」とあるように、門前町でありつつ、北山で生産される林産物の中継地でもありました。

 特に鞍馬は炭の集積地として名高く、鞍馬に集められた炭は「鞍馬炭」と呼ばれ、冬の季語にもなっています。『京都府愛宕郡村志』(京都府愛宕群、明治44年)に「鞍馬は郡の特産品たる薪炭の集散地にして京都市内との取引盛んなり一見市街の體裁を爲せり」とあることからも、鞍馬の商家の多くは炭問屋だったことが伺えます。炭は鞍馬より奥の花脊、久多、大原といった北山の村々で生産され、そこから若狭街道を通じて鞍馬にもたらされ、規格が揃えられて鞍馬炭としてブランド化されて都へ運ばれていました。鞍馬の民家が山間にあるものの町家形式である理由は、こうした来歴によるのです(図1)

 なお、鞍馬の町並みを悉皆的に調査した『鞍馬―町なみ調査報告』(京都市計画局、昭和57年)では、調査対象の家の多くが薪炭の収納倉庫としての納屋を併せもっていたこと、納屋が主屋の横に街道に面して建つこと、薪炭を積んでおくために軒・庇の出がかなり深いこと、近代に入り薪炭の中継地としての機能がなくなるなかで納屋が居室や車庫に転用されていることを指摘しています。

 一方、冒頭の『近畿歴覧記』では鞍馬の特産品として「山椒ノ皮」や「木ノ目漬」も挙げています。山椒ノ皮は山椒の木を10㎝ほどに切って煮たのちに剥いだ皮のことで、細かく刻んで醤油漬けにするなどして食べていました。木ノ目漬はアケビの若芽と山椒を塩漬けにしたものです。現在、鞍馬では山椒ノ皮や木ノ目漬は作られておらず、それらから発達したと考えられる「木の芽煮」を主とした佃煮が名物になっています。

 鞍馬で佃煮の製造販売をおこなうK社は、以前は炭問屋と林業が家業でした。燃料の変化に伴い炭の消費が減少したことを受けて大正6年(1917)に佃煮の販売を始めたといいます。佃煮の原料である山椒や蕗といった山菜は、かつて薪炭林だった北山の広葉樹林の山から採取され、鞍馬に集められて佃煮に加工され、京の食文化の一端を担っているのです(図2)。

 京都の生業の特徴は加工や分業と言われますが、鞍馬の営みをみてみると、その機能は中心部だけでなく周縁地域も担ってきたこと、扱う産物が変わっても機能は引き継がれていることがよくわかります。

 

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図1 町家形式の民家が並ぶ鞍馬

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図2 鞍馬で加工される北山産の山椒

(文化遺産部研究員 惠谷 浩子)

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