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平城宮佐伯門付近における遺跡の環境整備

2021年6月

 平城宮跡の隣にある奈文研本庁舎の場所は、平城宮の西の出入口であった佐伯(さえき)門の正面にあたります。この門の外には一条南大路と西一坊大路という大きな道路が通っており、門から宮内に入ると、馬を管理した馬寮(めりょう)という役所があったと考えられています。この門は今から50年前に一風変わった形で基壇(門の土壇)が復元されました(写真1)。

 この付近では昭和40年度(1965)に発掘調査がおこなわれました。門跡の西側(外側)には当時も県道奈良精華線が通っていたため、調査は門の東側(内側)の範囲のみを対象とするものでしたが、掘込地業という地盤を固めた痕跡が見つかりました。調査成果をもとに、門の基壇の規模・形状や柱配置が推定された後、昭和46年度(1971)に基壇が復元されました。遺跡における復元は元の位置でおこなうという原則にしたがい、県道に抵触しない東側3分の1の範囲だけの復元になりました。県道側の部分を大胆に切断、省略したかたちとなっていて、本来は3列あったはずの柱の礎石も1列ぶんしか置けませんでした。そのためこの復元基壇は、宮跡内側から見学するほうが堂々としてみえます。

 門の左右に続いていたと推定される築地大垣も県道にかかるため、復元されませんでした。その代わりに、高さ1.5mほどの土塁を大垣の位置よりやや東側にずらして設置して、宮跡と外部との境界が表示されました。その上部にはツツジやトベラが植えられ、毎年5月には花が咲き沿道に彩りを添えています。

 参考に、佐伯門より小規模ですが、全体復元されている平城宮跡の建部(たけるべ)門の写真を掲載します(写真2)。この門は東院南門であり、東院庭園の近くにあります。奈文研の前にもこのような景観が広がっていたのでしょう。

 いまから3年前に建て替えが完了した奈文研本庁舎の敷地の中にも、奈良時代の景観を想像するためのしかけがあります。往時の条坊道路が発掘されたため、その路面と側溝の位置や規模を表示したほか、街路樹をイメージした並木(エンジュ・アラカシ)を駐車場に植えました。その現状の写真と、全体が復元された朱雀門前の写真を並べてみます(写真3・4)。

 一般に幼木を植えてから5年目頃までは保護養生期間であり、10年目頃に育成期間に入っていくといわれています。実際に新庁舎が完成してから3年が経ちますが、あまり変化を感じることはなく、一部の草木は少し元気がないようにもみえます。しかし竣工時と比較すると、並木として植えた樹木は生長しているのが分かります。今後朱雀門前のシダレヤナギの並木のように、青々と育つことを期待したいと思います。

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写真1 基壇の一部が復元された佐伯門(本来の推定範囲を黄色の線で図示)

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写真2 復元された建部門と東院南面大垣

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写真3 奈文研本庁舎の街路樹をイメージした並木と道路側溝の表示(ベージュ部分)

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写真4 復元された朱雀門前のヤナギ並木と道路側溝

(文化遺産部景観研究室長 中島 義晴)

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