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都市社会の崩壊

2020年12月

 都市が廃墟と化す。まるで近未来SFに出てきそうな話ですが、人類史上、実際に起こった出来事です。今回は、現在の状況をみているとつい頭をよぎってしまう、この物騒な出来事を紹介します。

 私が研究対象としている西アジア地域では、遅くとも前4千年紀後半にはすでに黎明期の都市社会が成立していました。最古の都市社会の誕生です。しかし、この都市社会がそのまま現代につながるかというと、そうはなりませんでした。結論から言うと、前3千年紀後半と前2千年紀後半の少なくとも2度の深刻な衰退を経験しています。前3千年紀後半には、前2154年頃にメソポタミアではアッカド帝国が崩壊し、以後数十年間、周辺異民族を巻き込んだ混乱が続きます。同時期のレヴァント(東地中海岸域)では大多数の都市が放棄され、小規模な農村にとってかわります。また、古代都市エブラでは、前2000年頃の大規模な火災の痕跡がみられます。前2千年紀後半には、いわゆる「海の民」が活動を活発化させ、これと同時期に多くの都市が破壊・廃絶しました。

 こうした破滅的な画期の背景には、気候変動が度々指摘されてきました。とくに、1990年代に行われた北極海の海底コアの解析により、氷河期終焉後に約1500年周期で少なくとも8回の寒冷化が、地球規模で起きていたことが突き止められました。このうち6回目(4200年前)は、前3千年紀後半に重なってきます。ちなみに、直近の8回目の変動は7世紀頃にあたります。では本当に、この寒冷化が西アジア古代都市社会の1度目の崩壊の引き金を引いたのでしょうか。確かに、当該期の寒冷化・乾燥化の証拠は見つかっています。前2600年以降の北シリアでは、天水農耕に依拠する大型都市がいくつも所在していましたが、人口過多による食糧調達に難儀したためか、前2200年頃には周辺の小集落ともども放棄されました。このうち、テル・レイランでは、寒冷化・乾燥化に起因する風成堆積物が都市廃絶後に堆積したことがわかっています。ソレク洞穴の鍾乳石など、各地の自然堆積物の分析からも気候変動は確認できます【写真1】。

 ところが、こうした事例に当てはまらない現象も少なからず確認できます。例えば、南メソポタミアの中核都市や古代都市マリ等の交易拠点は、同時期に存続したことが知られています。おそらく、中心的な都市を存続させようとする選択圧が地域全体に働いたためと思われます。また、寒冷化・乾燥化以前の前2500年頃には、南レヴァント(今日のイスラエル・ヨルダン周辺地域)では都市社会が早くも崩壊し、ネゲヴ沙漠などの乾燥地への進出が再び本格化します【写真2】。こうした事実に照らせば、西アジアにおける都市社会の崩壊の原因は必ずしも気候変動だけとは限らない、ということができるでしょう。ところで、複雑化した都市型の社会システムでは、1つの小さな変化が形を変えて全体に影響を及ぼすのが常です。このため、気候変動が直接的に影響を与えた範囲は小さいと考えられますが、元々あった諸問題(人口稠密、食糧調達、政体間の紛争、異民族の侵入)と複雑に絡み合うことで、最終的には地域全体に波及する大規模な文明崩壊現象につながったと思われます。なお、考古学調査でははっきりしていませんが、原因の1つとして、疫病の流行も除外できません。

 上記の崩壊後、もともとは遊牧民であったアムル人の王朝が西アジア各地に興隆し、中期青銅器時代の繁栄の基礎を築きました。現在、感染症に起因する暗澹とした空気が社会全体に横たわっていますが、これが明けた後には、新しい世界が拓けていることを願うばかりです。

 

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【写真1】ソレク洞穴(イスラエル)洞穴内の鍾乳石の分析結果も4200年前の乾燥化・寒冷化を示している。

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【写真2】ネゲヴ沙漠(イスラエル)都市社会崩壊後の南レヴァントでは乾燥地帯での活動痕跡が多くみられるようになる。手前はビザンツ時代の中継都市シヴタ。

(都城発掘調査部研究員 山藤 正敏)

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