なぶんけんブログ|奈良文化財研究所に関する様々な情報を発信します。

奈良でも群馬でも

2024年3月

 群馬県でこれまで仕事をしてきた私ですが、今年度から奈良文化財研究所に移ってきました。旧石器時代に人々はどのように生活していたのかを研究してきましたが、その中で奈良と群馬を結ぶものに瀬戸内技法があげられます。

 瀬戸内技法とは今から2万9000年前頃に現れた石器の製作技術の一種です。原礫と呼ばれる大きめの丸い石を板状に打ち割ったあと、刺身の切身のように薄く割っていくことで石器の素材を作ります(図1)。この瀬戸内技法で製作された素材から、「国府型ナイフ形石器」と呼ばれる特徴的な石器などが作られました。

 奈良県と大阪府の境にある二上山は、サヌカイトと呼ばれる石材の原産地です(写真1)。二上山周辺からは、瀬戸内技法に関連する遺跡が数多く発見されました。サヌカイトは板状に割れる性質があるため、瀬戸内技法はサヌカイトから効率的に石器を製作するために発達した技術であると考えられます。

 その反面、瀬戸内技法、もしくはその影響を受けて製作された石器は本州・四国・九州の広い地域で発見されています。関東平野でも以前から国府型ナイフ形石器は出土していましたが、瀬戸内技法が石器の製作に用いられた確たる痕跡は長らく発見されていませんでした。それが初めて確認されたのが、群馬県にある上白井西伊熊遺跡です。

 このような特定の地域で発達した技術が、遠く離れた地域でも見つかる背景にはどのような理由が考えられるでしょうか。当時の人々は食糧となる動物を求めて各地を遊動する生活を送っていました。そうした生活では、狩猟が不調で食糧が得られなかった時によその集団から分けてもらったり、食糧などの資源を得られる時機などの情報を共有したりするために、異なる地域を遊動する集団間であっても、積極的な交流がおこなわれていたと考えられます。瀬戸内技法で作られた石器が広く見つかるのも、地域をまたいだ集団間のやり取りの結果であるのかもしれません。

 ちなみに、このように奈良でも群馬でも見つかったこの瀬戸内技法の石器は、現在の奈良文化財研究所本庁舎の敷地からも発掘調査によって出土しています。石器は本庁舎エントランスの展示スペースで間近に見ることができますので、奈良文化財研究所にお立ち寄りの際はご覧ください。

図1 瀬戸内技法概念図(松藤和人1986「旧石器時代人の文化」『日本の古代4』中央公論社から一部改変)

写真1 二上山(北から、筆者撮影)

(企画調整部研究員 小原 俊行 )

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