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奥出雲の庭園と製鉄に関わる文化遺産

2017年9月 

 島根県庁のある松江市から30kmほど離れた奥出雲町は、標高およそ300mから500mのなだらかな丘陵が伸びる美しい中山間地域にあります。最近、そこに所在する絲原いとはら家住宅の庭園を調査する機会がありましたので、今回はその庭園と関連する文化遺産について紹介します。

 

 この地域は良質な砂鉄と、豊富な木炭資源に恵まれたことから、古式製鉄法であるたたら製鉄がおこなわれ、古くから日本有数の鉄の生産地であったところです。江戸初期に製鉄を始めた絲原家は櫻井家、田部家と同様に、松江藩から武家に準ずる待遇を受け、三大鉄師と呼ばれるようになり、大正後期に家業を山林業に転換するまで製鉄を続けました。現在の絲原家には、有形文化財に登録された建造物、美術工芸品のほか、古文書、生活道具など、かつての暮らしぶりを知ることのできる多様な文化遺産がのこされています。

 池庭、枯山水、露地などで構成される美しい庭園もそれらと一体的に継承、公開され、多くの見学者が訪れています。今回、江戸末期の屋敷絵図や明治以降の写真を細かく分析することで、庭園の各区域の時代的な変遷がわかってきました。とくに写真に写り込んだ植栽の大きさ・刈込み、建築物の変化や人物から、貴重な情報が得られました。それによると、池庭は江戸末期にはあったようです。主屋の書院まわりはおそらく幕末に藩主を迎えた際には庭として整えられ、その後、大正13年の主屋建て替えのころに現在のような枯山水に改築されました。さらに昭和初期までに表座敷前の流れや、茶室と露地も整備され、全体が現在の姿になりました。書院前の飛石は、目立つ場所に短冊石という長方形の切石や臼石を交えて意匠が凝らされています。これは出雲地方の他の庭園にもみられ、出雲流の庭園といわれることがあり興味深い特徴です。奥出雲には他にも鉄師であった櫻井家や卜藏 ぼくら家の庭園があります。これら3つの庭園は素晴らしい滝がみどころとなっていますが、その導水には製鉄業で培われた水路の技術が用いられた可能性があります。

 

 さて、山間の地にある絲原家から少し離れると近隣には棚田の広がる地域があります。これは一見普通の棚田に見えますが、製鉄と深い関わりのあるものです。かつてこの地域では砂鉄を採取するために、丘陵を大規模に切り崩し、水流によって比重選鉱するという鉄穴 かんな流しがおこなわれていました。その跡地にまず蕎麦などがつくられ、その後、稲作に変わりました。これが現在の「出雲そば」や「仁多米」の生産につながっています。このような棚田のひとつである大原新田は、整然とした区画と元々は鉄穴流しのために設けられた用水路に高い技術が窺われ、「日本の棚田百選」に選ばれました。また、鉄穴残丘という、鉄穴流しで流されずにのこった場所が点在することもこの地域の棚田の特徴であり、棚田のほか山林や集落を含む7つの区域が重要文化的景観(「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」)に選定されています。

 筆者が現地を訪れたとき、絲原家主屋の屋根が修理されてきれいになっていましたが、これは文化的景観の構成要素としておこなわれたそうです。また、古い神社の社務所を利用しているそば店があり、文化遺産の活用と地域の活性化に役立っているようでした。

 このように、地域のなりたちをふまえてさまざまな物事の関連性を捉え、それらを一体的に保存・活用していく取り組みは、近年日本各地で進められています。奥出雲の製鉄の場合は、さらに広域に、また祭りなどの伝統芸能なども含めて、日本遺産「出雲國たたら風土記 〜鉄づくり千年が生んだ物語〜」(島根県雲南市・安来市・奥出雲町)にも発展しています。

 

 読者の皆様の中には、この7月1日~2日に京都府精華町で開かれた日本遺産サミットに参加された方はいらっしゃるでしょうか?これは日本遺産に認定されている全国各地の文化遺産の普及啓発を図るためのものです。今回は足利、岐阜に続く3回目となり、54地域ものPRブースが出され、一般の方もたくさん入場されましたが、参加された方はその数の多さや熱気を実感できたのではないでしょうか。地域の関連する文化遺産を幅広く捉えて総合的に保存・活用するという考えをもとに、歴史文化基本構想を策定する市町村も年々増えてきました。最近は、全国のあらゆる地域でそれを実践しようとする活発な動きがみられるようになってきたと感じています。

 

 

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絲原家の庭園

 

 

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奥出雲町の棚田景観

(文化遺産部主任研究員 中島義晴)