2017年10月
『西遊記』は、中国や日本の漫画、ドラマにも繰り返し描かれ、今でも人気を集める物語です。唐の長安と言えば、『西遊記』をイメージする人も少なくないでしょう。教典を求めて天竺へ向かう玄奘三蔵は、7世紀に実在した高僧です。困難辛苦に打ち勝ち、教典を持ち帰る話は、人々の尊敬と好奇を引きつけ、唐代にはすでに物語として語られていました。しかし、三蔵法師の旅に、孫悟空、猪八戒、沙悟浄の弟子妖怪が加わり、冒険活劇『西遊記』に仕上げられるのは、明代のことです。
『西遊記』の成立は、中国文学の分野でもさかんに研究されてきました。さまざまな要素がミックスされており、その成立過程は複雑ですが、基本的には「大唐三蔵取経詩話」という物語が、原典のひとつと考えられています。
「大唐三蔵取経詩話」には、玄奘三蔵と
唐〜宋代、中国では禅宗や密教が流行しました。悟りを開くために修行に出た行者は、白装束で、頭には白い布の一端に金属の輪を通した帽子をかぶっていました。この帽子の白い布が取れてしまった姿が、金環をかぶった行者の姿とみられます。玄奘三蔵のお供をする猴行者は、古いものでは敦煌の壁画や福州の石像などに描かれていますが、金環をはめているものが多いようです。これらの猴行者像のなかでも、もっとも古いものは宋代です。
ところが、奈文研と中国・河南省文物考古研究所が共同で研究をすすめる唐三彩の中に、興味深い資料がみつかりました。小型
この玩具は、盛唐晩期から中唐期のものとみて間違いありません。この時期には、なんらかのサル行者に関する話が成立していた可能性が高いといえます。つまり、飛躍すると、これが現存する最古の孫悟空像の可能性があるというわけです。
安史の乱以降、中原地域は長い争乱の時代がつづきました。この間に、華やかな文化が生み出した数多くの文物が失われてしまいました。「大唐三蔵取経詩話」も、日本や韓国に写本が残るのみで、中国国内には残っていません。しかし、土中に埋まった埋蔵文化財のなかには、まだまだ、これと同じような「掘り出しもの」が残っているに違いありません。
中国河南省鞏義市博物館所蔵
出典は奈良文化財研究所2003『鞏義黄冶唐三彩窯』奈良文化財研究所第61冊
写真撮影:牛嶋茂
(都城発掘調査部主任研究員 神野 恵)