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灰汁(あく)なき探求

2016年2月 

 「石灰」「草木灰」「温泉」、この三つは一見すると何の関連もないように思えますが、共通するキーワードがあります。「アルカリ」です。

 アルカリと聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?寒い季節にゆっくりとあたたまりたい温泉でしょうか。あるいは年末に大掃除された方は、洗剤かもしれませんね。ふだんはあまり意識していなくても、アルカリは私たちにとってとても身近な存在です。これは奈良時代においても同様で、私が関心を寄せていることの一つに奈良時代に手に入れることができたと思われるアルカリがあります。

 奈良時代にすでに用いられていたアルカリの代表は灰汁(あく)です。灰汁は草木灰に水を混ぜ、放置した後の上澄みで、正倉院文書にも灰の記述は見られ、染色における媒染剤として灰汁が用いられていたことは明らかです。また、自然界に存在する石灰岩を加工して得られる石灰は、壁材(すなわち漆喰)としてのみでなく、古くから染色における媒染剤としても用いられてきました。ここでは単に石灰と言っていますが、漆喰の原料となるのは消石灰と呼ばれるものです。石灰岩を焼くといわゆる生石灰となり、この生石灰を放置して空気中の水分を吸収させ自然消化するか、あるいは加水して強制消化することにより、消石灰となります。消石灰に水を加えると強アルカリを得ることができます。

 天平六年(734年)の興福寺西金堂の造営に関する一連の文書『造佛所作物帳』には「買椿灰八十五斛二斗」といった椿灰の購入にかかわる記述が、また『造佛所作物帳』の一部と考えられている断簡には、胡桃皮や胡桃葉、比佐宜葉等の記述とあわせて、「石灰陸斛壱斗貳升」「椿灰捌拾伍斛貳斗」といった石灰や椿灰にかかわる記述があります。石灰からも草木灰からもアルカリを得ることができますが、草木灰のうち椿灰はアルミ分を多く含んでいるため、椿灰の灰汁を用いた場合はアルミ媒染とアルカリ媒染が同時にかかるのが特徴です。このため他の草木灰とは区別し、あえて椿灰と書いたのかもしれません。

 日本列島の温泉は、みなさんご存じのとおり、強アルカリ性から強酸性まで、幅広く分布しています。風土記やその逸文によれば奈良時代に温泉が開かれていたのは出雲や豊後、伊豫等の諸国で、『豊後國風土記』の大分郡酒水の条には「其の色は水の如く、味は少しく酸し、用ゐて痂癬(はたけ)を療す」とあります。この温泉の泉質はアルカリ性ではないと思われますが、温泉が皮膚疾患の治療に利用されるくらい一般的であったこと、またそれぞれの温泉の効能の違いから、当時の人々はアルカリ性や酸性といった含まれる成分の違いを、経験的に感じ取っていたことが推測されます。

 このようにアルカリから広がる世界は、実に奥が深いのです。

(埋蔵文化財センター アソシエイトフェロー 中島 志保)

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