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青色が真っ黒に?―壁画の技法と変色のはなし―

2023年7月

 壁画の制作技法で代表的なものに、フレスコ技法とセッコ技法があります。フレスコ技法が、下地が乾かないうちに水で溶いた色材を塗布するのに対し、セッコ技法では、下地が乾燥したあとに接着剤(膠や卵など)を用いて塗布します。地域によってもどちらの技法が使われるか異なり、西洋の場合はフレスコ技法が主流です。フレスコ技法で壁画を描くと、下地形成時の化学反応により、色材が壁面と一体になるため、彩色層が堅牢にできあがります。それと比べると、セッコ技法の彩色層は脆弱だと言わざるをえません。かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》もセッコ技法で描かれており、それがほかの壁画と比べて、保存状態がよくない理由の一つとされています。

 「それなら、全部フレスコで描けばよいのでは?」と思った方もいるのではないでしょうか。残念ながら、この技法はすべての色材に対して使えるわけではないのです。例えば、私は壁画に用いられた青色顔料のアズライト(日本では「群青(ぐんじょう)」と呼ばれます)の劣化現象を研究していますが、この顔料はフレスコ技法では塗れません。このことは古くから知られていたようで、中世の技法書(文献1)には、アズライトをフレスコ技法で塗布できないことが記されています。これは、乾く前の下地の成分である水酸化カルシウムが強いアルカリ性を持ち、それがアズライトのような銅含有顔料を変色させてしまうからです。

 ではここで、私が実験に使った試料をお見せします【写真1】。この試料は、下地が内部まで完全に乾いていない状態で、アズライトを卵で塗布し、下地を塗った土台から水を供給したものです(比較として、水分を供給しなかった試料も示します)。私も文献からアルカリ成分で黒変することは知っていましたが、初めて目にした時には、「こんなにも真っ黒に......」とショックを受けたものです。セッコ技法で塗布しても、下地に残存したアルカリ成分の影響を受けるとこうなってしまうのですね。ちなみに黒色の正体は、酸化銅のテノライト(黒銅鉱)という物質です【写真2】。

 壁画や彩色文化財に用いられたアズライトが、アルカリ成分によって黒色になってしまった事例はいくつかありますが、後世の不適切な処置や周辺環境の影響によるものと考えられています。このような劣化を防いだり緩和させたりするためにも、用いられた材料の特徴を理解し、どのような条件で劣化が生じてしまうのかを明らかにすることは必要不可欠なのです。

(文献1)チェンニーノ・チェンニーニ原著. 絵画術の書. 辻茂 編訳. 石原靖夫; 望月一史 訳. 岩波書店(原典1400年頃),2009.

【写真1】アズライトを塗布した試料
(左:水分供給なし,右:水分供給あり)

【写真2】X線回折分析による各試料の分析結果
(X線回折分析を利用して試料に含まれる化合物を確認することができます。グラフには複数のピーク(鋭い山)が見られますが、どの角度(横軸/deg)でピークが出るかは化合物の結晶構造によって異なります。水分供給なしの試料(上)ではアズライト、水分供給ありの試料(下)ではテノライト由来のピークが顕著です。保存修復科学研究室ではこのような分析機器を用いて日々、文化財の保存に関する調査・研究を進めています。)

(埋蔵文化財センターアソシエイトフェロー 大迫 美月)

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