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奈良時代、美しい文字の裏側

2019年2月 

 平城宮跡資料館では、毎年秋に「地下の正倉院展」で木簡の実物を展示しています。けっして見栄えする遺物とはいえない木簡ですが、来場者の方からは、毎年必ずと言っていいほど「木簡の文字がきれいで、読みやすくて、感動した」という感想をいただきます。

 奈良時代の出土文字資料の中には、時に目を見張るほど端正なものがありますし、毎年の正倉院展に出陳される奈良時代の写経も、徹頭徹尾統一された美しい書に頭が下がる思いがします。奈良時代に、そのように美しい文字を書くことが求められた代表的な人々といえば、造東大寺司(ぞうとうだいじし)下の写経所に所属した写経生たちがあげられます。写経生たちは、どうしてこのようにきれいな文字を書けたのでしょうか。

 今回は写経生の採用試験を例に、奈良時代の美しい文字、その裏側をご紹介します。

 (図1)は、試字(しじ)と呼ばれる写経生採用試験の答案の一例です。巧拙を問うための文字に続けて受験者の氏名が書かれ、ものによってはその上部に「不定」や「未定」といった文言が添えられています。これは合否判定の追記とみられます。

 判定基準は文字の巧拙だけではありませんでした。文字の巧拙とは別に、既に写経所に所属している人との縁故関係も、採用判定に大きく影響したと考えられています。受験者の中には、それまで役所や写経所の類で働いた形跡のない人々も多くいました。誰も知らない人よりも、既に写経所で働いている人の身内や知り合い、あるいは別の役所で勤務経験がある人の方が、安心して採用できたのかもしれません。

 さらに、採用試験そのものとは別の厳しさもありました。現存する数少ない試字の中に、刑部諸国(おさかべ の もろくに)という人物の試字があります。正倉院文書中にこの人物の活動の痕跡を探すと、約10年毎に、3度写経所に短期出仕している非常勤の写経生のようです。そして、現存する諸国の試字の年代は、2度目の出仕時期のものとみられます。たとえ、それまでに写経所に出仕していたという実績があっても、再度試験を受け、その時に写経生として働けるレベルにあることを示さないと採用してもらえませんでした。

 また、写経事業ごとに求められる書風は異なりますから、あるいは、その事業で求められる書風を書けるかどうか、ということが試されていたのかもしれません。字がうまいことは当然のことながら、多種多様な書風を書けるということも写経生に求められる重要な要素でした。

 いずれにせよ、写経生として採用に至る道は遠く険しいものでした。厳しい採用レースの中で、写経生たちは日々技術を磨き続けなければなりませんでした。そうして、ようやく手にした写経所勤務の生活で、日々黙々と写経に勤しみ、誤字脱字があれば給料を差し引かれるとあっては、その苦労はどれほどのものだったでしょうか。

 ですから、出土資料の中に写経と見紛うような端正な墨書があれば、それはけっして奈良時代人一般がもっていた素養の類ではなく、その字を書いた人物の大変な努力のたまものなのです。そのような目で見ていくと、出土文字資料ひとつひとつにも愛着が湧いてきませんか。

 

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図1 写経生試字(知恩院蔵。国立歴史民俗博物館『正倉院文書拾遺』1992年より転載)

(企画調整部アソシエイトフェロー 座覇 えみ

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