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復元鬼瓦のバージョンアップ

2020年8月

 平城宮跡内を走る近鉄電車の車内から眺める朱雀門や大極殿は、奈良ならではの風景でしょう。でも、少し前から大極殿の手前(南側)に大きな覆屋がそびえ立っています。この覆屋は2019年に始まった大極殿院南門の復元工事のためのものです。朱雀門(1998年復元)、第一次大極殿(2010年復元)に続き、大極殿院南門は平城宮の大型建物の復元としては3例目となります。

 平城宮・京から出土した瓦を研究する都城発掘調査部考古第3研究室に所属する一員として筆者も、事業主体である国土交通省の方をはじめ建設会社の方、復元瓦を作る瓦職人の方々と共に復元建物の瓦について検討会に出席し、実際の仕様やデザインについて出土資料に基づいたアドバイスを行っています。朱雀門、大極殿それぞれの復元の時も様々な角度から検討が行われてきましたが、回を追う程、事細かな検討や改良が加えられていきます。

 今回は私が大好きな鬼瓦について改良点のいくつかを速報しましょう。朱雀門も第一次大極殿も奈良時代初期に建設され、用いられていた鬼瓦はしゃがんだ長毛の神獣が浮き彫りで表されているタイプ(平城宮式Ⅰ式A)です。木型に粘土を詰めて成形されていて、同じ型の製品は宮・京内でたくさん出土しています。顔をよく見ると上唇を突き出し、舌を出して、邪気を祓っているようです。これまで完形で残っている資料(平城宮いざない館で展示中)〔写真1〕を参考に復元鬼瓦を製作していましたが、今回は収蔵庫に保管されている破片資料をチェックし直してみました。すると、木型への粘土の詰めが甘かったり、地中に埋まっている間に表面が磨滅してしまったりして、完形品であっても型に彫られた文様が100%反映されたものとは限らないということがわかりました。一方で、破片資料の中から、文様がはっきりと表れているものを見つけ出すことができました。数としてはわずかでしたが、これまで完形品で見えていなかった文様細部が確認できました。これは、瓦には表れにくいものの、木型には確実に彫り込まれていた文様と言えます。

 今回新たに確認できたものを復元鬼瓦に反映した部分は主に3か所。瞳(黒目)、上唇中央につくられた「人中」(鼻の下の筋のこと)〔写真2〕、手首の外側にあるぐりぐりとした骨の突起「尺骨茎状突起」〔写真3〕です。瞳はうっすらとしか段差がついておらず、人中も下から見上げると唇の陰になって見えません。ぐりぐりも小さな小さな表現で、なかなか気づけないものです。鬼瓦が屋根に据えられたら、地上からは絶対に認識できないはずですが、鬼瓦のデザイナーや鬼瓦の木型を彫った木工職人たちは細部までしっかり表現しようと努めていたことがわかります。しかし、かなしいかな、瓦は大量生産品。木型に粘土を詰めて鬼瓦を作っていた現場の瓦職人たちには、そうした細やかな心意気は伝わっていなかったようです。粘土の詰めが足りなかったのでしょう、瞳や人中、手首のぐりぐりがはっきりと表現されている鬼瓦はほんのわずかしかありません。

 今回、大極殿院南門に据えられる鬼瓦には、鬼瓦のデザイナーとそのデザイン通りに木型を見事に彫り上げた職人たちに敬意を表し、瞳や人中、手首の突起が表された当初のデザイン完全版を採用しました。大極殿院南門が完成した暁には、ぜひ双眼鏡を手に観察してみてください。但し、見えるかどうかは保証できません。悪しからず。

 

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写真1 平城宮Ⅰ式Aの完形品

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写真2 瞳と人中を左からみたところ〔拡大〕

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写真3 手首のぐりぐり(矢印部分)

(都城発掘調査部主任研究員 岩戸 晶子)

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