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考古学の歌と奈文研

2023年7月

 「考古学」・「歌」というワードを聞くと、遺跡から出土した楽器の研究の話なのかと思われる方もいるのではないでしょうか。今回は少し視点を変えて、考古学の世界で歌われていた(現在も歌われている)歌についてご紹介したいと思います。

町を離れて野に山に 遺跡求めて俺たちは
夕べの星見てほのぼの偲ぶ 遠い昔の物語 

 この歌は「考古学エレジー」という歌で、1960年代に関東の大学で作られたと言われています。この歌が作られた高度経済成長期には、開発などにより遺跡の発掘調査数が増加し、様々な大学の学生が遺跡の調査に参加したといいます。そうした発掘調査で歌われたこの歌は、関東だけではなく各地へと広まっていきました。また、近年この「考古学エレジー」に関する書籍も刊行されています。(澤宮優2016『「考古学エレジー」の唄が聞こえる』東海教育研究所)。

 次にここ奈良文化財研究所で作られた歌の一つをご紹介します。

朝だ8時だスコップ提げて 今日も掘る掘る柱の穴を
上は麦わら下はゴム長 うちの亭主は平城勤務 月月火水木金金

 1970年代に所内で歌われていた「平城行進曲」という歌で、坪井清足元所長(1921~2016年)の世代によって作られたといわれています。この曲以外にも、たくさんの歌が奈文研では作られ、歌われていました。残念ながらこの「平城行進曲」を含め、1970年代に歌われていた歌は、現在歌われておらず、歌のこと自体知る人も多くはありません。

 ただ、なぜか私の出身大学である國學院大學では、この「平城行進曲」が今も歌われています。とある先生によって奈文研から大学に伝えられたらしく、研究室でおこなう発掘調査実習の決起会などで歌われています。ほかにも、「考古学エレジー」をはじめ、いろいろな歌が研究室では歌われていました。研究室に伝わる「平城行進曲」は、原曲の歌詞とは少し違っていて、歌い継がれるなかで、歌詞が変わっていったのだと思われます【写真1】。奈文研で作られた歌が、関東の大学に伝わり、今もなお歌い継がれているのはなんだか感慨深いですね。

 今回は、「考古学エレジー」と「平城行進曲」をご紹介しましたが、考古学の世界では、ほかにもいろいろな歌が歌われています。今はスマートフォンで流行りの歌をすぐに聞いたりダウンロードしたりすることができますが、「考古学エレジー」や「平城行進曲」が作られた時代には、もちろんスマートフォンはなく、人と人とのつながりによって歌が伝えられ、歌い継がれていったわけです。そして、こうした歌を仲間と歌うことで、一体感を生み出すとともに、開発で消えてしまう遺跡に思いを馳せていたのだと思います。このように、考古学の世界で歌われていた歌によって、当時の社会背景や歌い継いだ人の心情を垣間見ることができるのは、なんだかロマンチックではないでしょうか。

 私も今回ご紹介した「平城行進曲」を口ずさみながら通勤しています。藤原勤務ですが...。

参考文献
澤宮優2016『「考古学エレジー」の唄が聞こえる』東海教育研究所

【写真1】大学の歌集。「考古学エレジー」に加え、「平城行進曲」が掲載されている。原曲とは歌詞が異なる。

(都城発掘調査部アソシエイトフェロー 樋口 典昭)

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