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ガラスの「カタヌキ」

2023年1月

 みなさんは駄菓子の「カタヌキ」をご存じでしょうか? 板状の砂糖菓子に動物や乗り物などのデザインの型が押されていて、針できれいにくり抜いて遊ぶあれです。かつては紙芝居のお供として水飴とともに定番のお菓子だったそうで、縁日の屋台などで遊んだ方も多いのではないでしょうか。似たようなお菓子として、型抜き遊びのできる市販のガムもあった記憶があります。最近では、型押ししてあるチョコレートをきれいに割り取って遊ぶお菓子もあるようです(写真1)。

 このような型抜き遊びのお菓子によく似た遺物が、明日香村の飛鳥池遺跡で発見されています。飛鳥池遺跡は日本最古の鋳造貨幣である「富本銭」を製作していた遺跡として著名ですが、富本銭だけでなく、金属やガラスなどを用いて様々な品目を製作していた7世紀後半の総合工房であったことがわかっています。

 問題の遺物は、厚さ2.5mmほどの薄いガラスの板に、5mm×3mmの楕円形の型が押されたものです(写真2:左)。この状態から折り取られたガラスも多数見つかっています(写真3:右)。熱して柔らかくなったガラスに型を押し、ガラスが固まってから押された型に沿ってガラスを折り取ることで、装飾用の小さなガラス製品を作っていたものと考えられます。型押しされた形は単純ですが、サイズが小さいため、ガラスをきれいに折り取るのには細心の注意が必要だったでしょう。このようなガラスの加工技術は、今のところ飛鳥池遺跡でのみ確認されているものですが、効率のよい製作技法だったかはやや疑問です。

 弥生・古墳時代までの日本列島では、ガラス製品といえばビーズでした。首飾りや腕飾りのような様々な装身具に好んで用いられましたが、その多くは輸入品です(参考:田村 朋美 コラム作寶樓「インドからローマまで」。このようなガラスビーズには、紐に綴るための孔が開いています。これに対し、飛鳥池遺跡の型抜きガラスには孔がありません。紐に綴るのではなく、金属など他の素材にはめこむような装飾に使われていたものだと考えられます。高松塚古墳壁画の人物像がアクセサリーを身に着けていないことからもわかるように、7世紀のあいだに、ガラス製の装飾品は人々の身体を飾るものから、寺院や宮殿を荘厳するものへと性格を変えていったと考えられています。飛鳥池遺跡の型抜き技法は、孔をもたないガラス装飾の需要拡大に応えるための試行錯誤を示しているのかもしれません。

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写真1 型抜き遊びのできるチョコレート(失敗しました)

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写真2 型押しされたガラス(左)と折り取られたガラス(右)
(左は『飛鳥池遺跡発掘調査報告』奈良文化財研究所学報第71冊より)

(都城発掘調査部研究員 谷澤 亜里)

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