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インドからローマまで

2018年6月 

 みなさんは、弥生時代や古墳時代のお墓からたくさんのガラス小玉が見つかっていることをご存知でしょうか。驚くことに、これまでの発掘調査で実に60万点をこえるガラス小玉が出土しています。

 日本でガラス小玉が初めて出現するのは紀元前3世紀頃の北部九州です。この時流入したガラス小玉は、直径が6mmを超えないような単色(モノトーン)の小玉で、気泡が孔と平行方向に並んでいるのが特徴です。加熱したガラスを引き伸ばしてガラス管を製作し、それを分割したものを再度加熱することで、丸みを帯びたガラス小玉を作っています。

 さらに、これまでの考古学的な調査から、共通の特徴を持つガラス小玉が、日本列島のみならず、西はアフリカ大陸東岸部からインド南部を経て東南アジア各地に至るまでの沿岸地域に広く分布することが明らかになっています。これらはインド・パシフィックビーズ(Indo-Pacific Beads)とよばれ、インド~東南アジア各地で生産され、海のシルクロードと呼ばれる海上交易によって、北アフリカから東アジアに至る広範囲の地域に運ばれたと考えられています。日本の弥生時代や古墳時代のお墓から見つかるガラス小玉も、ほとんどがこのインド・パシフィックビーズです。二千年以上も前からインドや東南アジアなどの南方起源の交易品が日本列島に到達していたなんて、驚きですね!

 でも、これだけではないんです。

 古代の日本列島には、さらに遠方の地中海周辺地域や西アジアなどの西方地域で製作された「西のガラス」を素材としたガラス小玉も流入していました。「西のガラス」は原料に蒸発塩の「ナトロン」を利用したナトロンガラスと、植物の灰を利用した植物灰ガラスに大別され、ナトロンガラスはローマ帝国領域であった地中海周辺域の、植物灰ガラスはササン朝ペルシアをはじめとするメソポタミア周辺地域のガラスの特徴とされています。すでに弥生時代後期後半(2世紀)には、地中海周辺地域で製作されたナトロンガラス製のガラス小玉が流入していたことが明らかとなっています。

 古墳時代中期後半(5世紀後半)になると西アジア~中央アジア産と考えられる植物灰ガラスを素材としたガラス小玉が大量に流入してきます。ちょうど同じ時期には朝鮮半島の新羅の領域においても同種のガラスビーズが大量に発見されていいます。当時の新羅には、西アジア~中央アジア産と考えられているガラス容器や金製品が内陸ルートで伝えられており、これらのガラス小玉も同じ経路で東アジアにもたらされたと考えることができます。5世紀後半における「西方の」ビーズの大量流入で、それまでの「南方の」インド・パシフィックビーズを中心としたガラス製品の構成が大きく変化します。この変化は、ユーラシア大陸各地から日本列島へもたらされたガラスビーズの交易ルートの中心が海路から内陸へ変化する大きな画期を示しているのです。

 このように、ガラス小玉は、ユーラシア大陸の東端部に位置する日本列島が陸・海のルートを通じて東南アジア~南アジア、さらには西アジアや地中海周辺地域ともダイナミックにつながっていたことを物語る貴重な資料です。

 みなさんも、博物館などでガラス小玉を見かけたら、古代の壮大な遠距離交易に想いを馳せてみてくださいね。

 

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日本出土のインド・パシフィックビーズ

(都城発掘調査部研究員 田村 朋美)

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