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奈良時代の"あの世"事情

2020年10月

 幼いころに「嘘をつくと閻魔(えんま)様に舌を抜かれるぞ!」なんて、1度くらいは言われたことがあるのではないでしょうか。閻魔様はあの世の裁判官です。裁判官は閻魔様を含めて10人、それを「十王(じゅうおう)」と呼びます。そして、十王の裁判を受けて極楽往生(ごくらくおうじょう)するのか、天道(てんどう)・人道(にんどう)・修羅道(しゅらどう)・餓鬼道(がきどう)・畜生道(ちくしょうどう)・地獄道(じごくどう)の六道のいずれかに輪廻転生(りんねてんせい)するのかの判決が下されます。このような、私たちの知っている閻魔様を含む十王や、輪廻転生という思想が広まったのは、平安時代後期頃のことです。985(寛和2)年に恵心僧都源信(えしんそうず・げんしん)が「往生要集(おうじょうようしゅう)」を著して極楽往生の道を説きました。そこで語られた極楽・地獄の世界や閻魔様の姿をもとに多くの絵画や彫刻が作られ、人々に知られるようになりました。

 それでは、極楽・地獄の概念が浸透する以前の"あの世"の世界はどう考えられていたのでしょうか。それを教えてくれる図像が、760年代頃の制作と推定されている奈良県に位置する東大寺の二月堂本尊光背に残されています。

 光背とは仏から発する光を表現したものです。二月堂本尊光背は銅製で、両面の全体に線刻によって図像が描かれています。1667(寛文7)年の火災によって割れてしまいましたが、近代にその破片が復元配列されて本来の形がわかるようになり、重要文化財に指定されました。奈文研には、明治~大正年間に日本美術院で仏像修理に従事した菅原大三郎氏の資料が寄贈されているのですが、その中に、復元配列された頃に作成された、この光背の拓本があります【写真1】。

 光背の片面には、上部から中部にかけて仏菩薩が描かれ、そして下部には地獄が描かれています。これはインド仏教の世界観で、仏教世界の中心にそびえ立つ須弥山(しゅみせん)という山と各部分に住む仏菩薩、そして須弥山のはるか地下に存在する地獄を含めた須弥山世界を線画で表したものとされています。地獄にあたる部分をよく見てみると、餓鬼(がき)と燃える炎、炎の中の亡者の頭蓋骨とみられる描写が確認できます【写真2】。平安時代以降の地獄に比べてシンプルな描写ですが、その恐ろしい様子は現代の私たちが想像する地獄と共通しています。奈良時代の代表的な地獄の作例は、この東大寺の二月堂本尊光背の図像だけですが、奈良時代にも地獄の世界の概念は存在し、図像を通して仏の住む世界と合わせて伝えられていたことを物語っています。

 ちなみに、飛鳥資料館では、奈良県明日香村の石神遺跡から出土した須弥山石を展示しています【写真3】。これは飛鳥時代の石造物で、表面に山脈の表現がみられることから須弥山を表したものだと考えられています。このように、奈良には飛鳥時代や奈良時代の"あの世"を表現した文化財があり、さらには平安時代以降の本格的な地獄の作例もあります。皆さんも奈良の文化財を通してあの世を少し覗いてみてはいかがでしょうか。

 

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【写真1】菅原大三郎資料 東大寺二月堂本尊光背裏面 拓本

 

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【写真2】菅原大三郎資料 東大寺二月堂本尊光背 拓本(写真1拡大)

 

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【写真3】飛鳥資料館 須弥山石

(埋蔵文化財センターアソシエイトフェロー 吉田 万智)

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