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白い象

2018年4月 

 享保13年(1728)、時の将軍徳川吉宗に献上されるため、清国より長崎に2頭の象が到着しました。2頭は5歳のオスと3歳のメスで、メスの象は病のため長崎で死んでしまいましたが、オスの象はさらに大阪まで船で渡ったのち、京都を経て江戸まで2カ月以上をかけて歩いて移動しました。いわゆる「享保の象」として知られるこの出来事は、一般庶民が象という巨大な生き物を初めて目にする機会となり、巷に象ブームを巻き起こしたそうです。

 日本人が「象」という動物の存在を知ったのは、遥か昔の古代までさかのぼります。『日本書紀』には「象牙」が記されていますし、『和名類聚抄』には「似水牛、大耳長鼻、眼細牙長者也」と、具体的な姿が説明されています。おそらく経典や仏像などを通じて大陸から伝わったのでしょう。

 仏教では、釈迦の母である摩耶夫人が釈迦を身籠る際に六牙の白象が胎内に入る夢を見たという説話があります。また普賢菩薩の乗り物も白象です。白象は縁起の良いもの、仏法を守護するものと考えられていました。本物の象を見たことのない当時の日本人にとって、白象は麒麟や鳳凰と並ぶ霊獣のひとつとして認識されていたのです。

 ところで、寺院や神社などでは、建物に霊獣の彫刻を施して荘厳することがあります。特に近世の社寺建築は装飾が飛躍的に発展した時期で、日本各地に多くの遺構が残されています。彫刻の題材として、麒麟・龍・鳳凰・獅子などがみられますが、象も多数の事例があり、霊獣として認識されていたことを裏付けます。

 彫刻が施される場所はある程度決まっており、そのなかでも木鼻(貫などが柱から突出した部分)は象の頭部の形にすることが多く、その形から「象鼻」とも呼ばれます。象のほかに獏という想像上の生き物がいますが、象と同じように木鼻の彫刻として多用されます。獏は、象と同じく鼻の長い生き物であるため、象と混同されることが多いのですが、象と獏を比較するとその違いは一目瞭然です。獏は全身を巻き毛で覆い、目は丸くギョロっとしており、足は獅子のように爪のある獣足で、おなかは蛇腹です。一方象は、目は三日月のように細く、耳は大きく垂れていて、毛はなくつるっとしています。彫刻に彩色が施されていればなおさら簡単です。なぜなら象は「白象」ですので、全身が白く塗装されていることが多いからです。

 「享保の象」について記した史料には、「このたびの象は灰色なり、白象にはあらず」と書かれています(『閑窓自語』)。縁起が良いとされる白象を想像していた人々は、果たしてどんな風に灰色の象を見つめていたのでしょうか。

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「白象」の木鼻(京都・清水寺西門)

(都城発掘調査部主任研究員 大林 潤)

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