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古代の旅を追体験する

2024年1月

 飛鳥~平安時代、特に律令期を中心とした時代の一般の人は、基本的に土地に縛られた生活をしていたと考えられています。しかし、彼らも時には長距離を移動することがありました。一例としては、各地の特産品などの税物を都に運ぶための旅です。荷物は人が担いで、歩いて都まで運びました。また、運搬役には一般の人が動員されたため、彼らも都を見る機会はあったのです。

 古代の人が、どんなところをどのくらいの時間をかけて移動していたのか、それを知りたくて研究を続けています。『延喜式』という平安時代の法律文書には、日本各地から平安京までの往復の日数が書いてある部分があります。この数字の意味については諸説あり、必ずしも実態を表している数字では無さそうだということが分かっていますが、実際はどうでしょうか?そこで、研究の一環として現地を歩いてみることにしました。条件を考えた結果、発掘調査などが進んでいてルートが比較的解明されている東山道を選び、平安京と美濃国府(岐阜県不破郡垂井町)の間、約100kmを往復歩いてみました(図1)。

 『延喜式』には、上り(地方→京)4日、下り(京→地方)2日と書かれていますが、実際に歩いてみたところ、例えば下りでも、さすがに1日に50kmを歩いて移動するのは大変で、1日目はなんとか歩き通せたものの、2日目は前日のダメージにより歩き通すことができませんでした。この数字はやはり現実的では無いのかもしれません。

 一方、上りは税物を持っているということで、重い荷物を背負っていたとして、1日約25kmであればなんとか歩き通せたのではないかと思います。ただ、重いと言っても、どのくらいの重量だったのかがわかりません。同じ『延喜式』の中には、瓦を運ぶ人の標準担荷量として40kg強を背負わせる、という記述があったので、それを参考にして担いで歩いてみました。しかし、山登りが趣味で、20kgくらいの荷物は背負って歩いている私でもこれは相当に大変で、1日で音を上げることとなりました(写真1)。この40kgという数字は、瓦を焼いたところからそれを葺く場所までの約10km以内の移動を想定していて、これほど長距離を歩くことは想定していないようです。では実際にどのくらいの荷物を担いでどのくらいの距離を歩いていたのか、現時点では調査不足でまだわかりません。私の研究は道半ばです。

 わからないことが山積みの古代の人の旅ですが、実際に彼らが歩いたであろう場所を歩いてみると、感慨深く感じることも多々ありました。現在は風景が変わってしまった場所も多いと思いますが、ぜひ皆さんも(ここまで過酷なことはしなくても良いので)昔の人の歩いた道を歩いてみてはいかがでしょうか。

 

参考文献
清野陽一2021「古代日本における移動コスト算出のためのフィールドワーク調査短報-平安京・美濃国府間の歩行実験-」『奈文研紀要2021』
清野陽一2023「平安時代前期の瓦重量計測と『延喜式』記載内容との比較」『文化財論叢V』(奈良文化財研究所学報第102冊)

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図1 実際に歩いたルート(背景図には地理院タイルを使用)

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写真1 40kg強の荷物を背負って雨の中を歩く

(飛鳥資料館主任研究員 清野 陽一)

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