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身近でない古代

2017年12月 

 まず、下の写真をご覧ください。「大きな白い骨」と「小さな茶色の骨」が写っています。小さな茶色の骨は奈良文化財研究所の発掘調査で出土した骨、大きな白い骨は比較するためのレプリカ標本です。何の骨だと思いますか?

 この骨は、人の骨です。左側の白い骨(レプリカ標本)は、大人の大腿骨。太もも部分の骨です。それに比べると、右側の茶色の骨(出土した骨)は同じ大腿骨ですが、非常に小さいことがわかります。残存長や癒合状況から推定すると、出土した骨は5~12歳程度と推定できます。今の小学生ぐらいの年齢です。

 この子供の骨は、藤原宮を造る際に掘られた運河から、多量の馬や犬の骨とともに見つかりました。全身の骨が揃って出土した訳ではないため、例えば、運河へ誤って落ちてしまった子供の遺体とは考えにくいです。骨を観察すると、犬によってかじられた跡が骨の両端に残されていました。関節の外れた子供の足の一部を、犬がくわえて動かしたと考えられます。

 京都大学名誉教授である西山良平さんの著書『都市平安京』(京都大学学術出版会)を参考にすると、平安京では、次のような事例が文献に残されています。

 ・延長5年(927)、内蔵寮に、犬が子どもの両足をくわえて入ってきた。同様の事態は貞観19年(877)にも起こっていた。

 ・承平元年(931)、大炊寮の供御院で、犬が子供の遺体をくわえていた。

 ・天慶2年(939)、藤原師氏宅の犬が、小児の下半身をくわえて入ってきた。

 ・天慶5年(942)、左近衛府中将曹司の近くで、3、4頭の犬が子供の遺体を食べていた。頭部と上半身しか残っておらず、手足はなかった。

 ・応和元年(961)、造営所の犬が、子供の両足をくわえて入ってきた。

 古代でも文献史料の豊富な平安京では、遺体が放置され、その遺体の一部を犬がくわえて徘徊していた様子が知られます。大人ではなく、子供の遺体に関する記述が多いのは、子供の死亡率が高かったことに加えて、犬がくわえて運びやすい大きさだったからではないかと考えられています。

 平安京のような記録は残っていませんが、藤原京でも、都を造っていた頃に「子どもの遺体の一部を犬がくわえて徘徊した」という景観があったようです。

 歴史について語る際、「歴史に興味をもってほしい」や「古代を身近に感じてほしい」という思いから、現代と古代の共通点や、今の私たちが共感しやすい側面が強調されることがあります。もちろん、遺跡から出土する様々な遺物は、遠い昔の人々の暮らしを身近に感じさせてくれます。しかし、時には今とは違った世界があったことも伝えてくれるのです。

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藤原宮跡から出土した骨(右側)

(埋蔵文化財センター主任研究員 山崎 健)

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