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日本庭園史話

2017年4月 

 森蘊という人物はご存知ですか?

 ご存知ない方はまずその名前の読み方に悩まされるでしょう。蘊蓄の「蘊(うん)」と書いて「おさむ」と読みます。確かに、珍しい名前です。

 森蘊は1905年、東京立川市に森家の6男として生まれました。兄弟も順番に秀、喬、禎、榮、實と、みな一文字の名前でした。お父さんの慎一郎は坂戸神社の次男で、東京府立第二中学校長(現・東京都立立川高等学校)や東京高等師範学校長(現・筑波大学)などを歴任しました。子息もまた大学を卒業してから学長、外交官、教授、社長など、社会の要職についています。

 このような環境で生まれ育った森蘊はなぜか、日本庭園の研究に没頭することになりました。1928年に東京帝国大学の農学部に入学し、造園や建築の歴史などを勉強しました。学生時代には、春休みや夏休みを使って、江戸時代に出版された『名所図絵』を片手に関西の古い庭や遺跡などを巡り、深い感銘を受けたと伝記に書いています。

 今、庭園を観光することは当たり前のようになりましたが、当時はまだ珍しく、一般公開されている庭園も少なければ、維持管理が行き届いているところも少なかったようです。その中で、森蘊は古い絵図などを参考に、庭園の変遷を探ろうとしました。卒論は東京に近い「鎌倉の庭と夢窓疎石の作風」というテーマでまとめたそうです。

 1952年、森蘊は奈良文化財研究所の建造物研究室の室長になり、桂離宮や修学院離宮の研究をはじめ、古庭園の測量と復元に力を注ぎました。庭園は生き物であり、自然に変わっていくものですから、名園の現状を把握し、今後の研究のための基礎資料を残す必要があると森は考えました。 奈良では大乗院や円成寺、京都では浄瑠璃寺や法金剛院、平泉では毛越寺や観自在王院などの歴史的な庭園の発掘と整備にも携わりました。その業績はあまり知られていませんが、我々が今見ている日本庭園に大きな影響を与えました。

 このように、奈良文化財研究所の大先輩である森蘊は、日本庭園史の基盤を築いた人です。私は現在、研究所に保管されている森蘊の資料の整理をしながら日本庭園の研究を進めていますが、そもそもフランス人が奈良文化財研究所でなぜ森蘊の研究をしているのか、と不思議に思われる読者も少なくないでしょう。じつは、私は学者としての森蘊よりも前に、作庭家としての森蘊を知りました。

 学生のころ、古川三盛氏という庭師のもとで見習いをしました。当時は何も知りませんでしたが、古川さんは森蘊の弟子で、森が作った庭の維持管理もしていました。ですから、私は奈良の今西家書院や岩井邸、郡山の矢田寺、河内長野の延命寺などで森蘊が作った庭の手入れや掃除をしながら自然に魅了され、森蘊の業績に感心を抱くようになったのです。

 振り返ってみれば、とても不思議ないきさつです。フランスで日本語を勉強しはじめたころに、やがて奈良文化財研究所で森蘊の研究を進めることになるとはとても想像もできませんでした。今でも、このような研究が何に繋がるのかよくわかりませんが、これからも日本庭園史の研究を深め、奈良を拠点に研究と仕事を続けることができたらと思っています。

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写真1:般若寺の近く、岩井邸で松の手入れをする筆者(2006年)。この庭は1970年に森蘊によって設計されました。

 

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写真2:法華寺庭園の調査風景(2017年)。
1958年に森蘊は法華寺の名勝庭園を修復し、その北側に「仔犬の庭」を新しく作りました。

 

(文化遺産部アソシエイトフェロー エマニュエル・マレス)

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