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どこが違う?大極門と朱雀門

2022年11月

 2022年3月、平城宮跡に大極門(第一次大極殿院南門)が復原されました(図1)。この建物の全体から細部までの形式は、奈文研が国交省から委託を受け研究した復原案がベースとなっています。

 大極門は、第一次大極殿(2010年復原)を囲う施設(第一次大極殿院)で、南正面に開く門です。建物は二重の屋根をもつ門で、間口22m、奥行9m、高さ20mです。すでにお気づきと思いますが、平城宮の正面玄関にあたる朱雀門(1998年復原)とそっくりです(図2)。朱雀門は間口25m、奥行10m、高さ22mで、大極門より一回り大きいですが、主要な形式は同じです。

 それぞれの建物の規模は、発掘調査成果やそれにもとづく研究などからあきらかになりましたが、細部の形式は、現存する文化財建造物、文献や絵画などのさまざまな史料を用いてそれぞれ個別に検討しました。復原された大極門と朱雀門はどこが違うのか、外観からわかる2点について、簡単にご紹介します。

 その前に、それぞれの建物の建立の経緯について確認します。大極門は、発掘された藤原宮の大極殿院南門と規模が異なりますので、平城宮で新築されたものです。しかし、朱雀門は藤原宮の朱雀門と同じ規模であることが発掘調査で判明しており、平城遷都にともなって藤原宮から移築されたようです。平城宮朱雀門跡出土の軒瓦は、藤原宮式の瓦が9割を越えます。復原建物には、建立年代にふさわしい構造や意匠が求められます。すなわち、大極門が奈良時代初頭、朱雀門がそれより古い飛鳥時代末の時代的特徴を有する建物と考えなければなりません。

 まず1点目、上層正面の開口部をご覧下さい。朱雀門では中央3間が連子窓(縦格子)、両端間が壁です。いっぽう、大極門では中央1間が扉で、それ以外が連子窓です。現存する重層の文化財建造物をみると、法隆寺西院の堂塔など、飛鳥時代の建物は上層の中央を連子窓にする傾向があります。それが奈良時代になると、薬師寺東塔や元興寺極楽坊五重小塔など、上層の中央を扉にする事例が現れます。大極門と朱雀門の開口部の違いには、現存する文化財建造物にみられる時代性が表れているのです。

 次に2点目、上層の高欄(手摺)をご覧下さい。大極門では構成部材が直線でシンプルな高欄ですが、朱雀門では高欄の下に、さらに腰組(木組み)があります。規模の大きい朱雀門では、腰組があることで高欄が高くなり、建物本体の高さと釣り合います。また腰組には、人字形割束(「人」字の形をした曲線部材)が用いられています。これは、国内に現存する文化財建造物では法隆寺金堂・中門などにみられる特徴的な部材で、規模の大きな第一次大極殿にも用いられています。

 大極門と朱雀門の主な外観の違いについて、おわかり頂けたでしょうか?今回紹介した2点以外にも、大極門と朱雀門の相違点や見どころは多様です。ぜひ現地で見比べ、復原建物の奥深さや往時の景観をお楽しみ下さい。

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図1 大極門(2022年復原)

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図2 朱雀門(1998年復原)

(都城発掘調査部研究員 目黒 新悟)

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