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水路をのぞけば

2023年12月

 農山村の景観やくらしを調査する際、用水路に着目することが多々あります。農村に張り巡らされた水路網を記録して田んぼを開拓してきた歴史を見いだしたり、独特な水の使い方に地域固有のくらしの作法を見つけたり。水路はさまざまなことを教えてくれます。

 鳥取県智頭町では、水路を引き込んで設けられた「イトバ」と呼ばれる洗い場が集落に点在します【写真1】。ここで山から採ってきた山菜・木の実や、畑で収穫した野菜などを洗います。豪雪をしのぐため屋根や壁に囲まれてしつらえられた、台所のような空間がなんともすがすがしく感じられます。

 続いて、私が奈良県飛鳥地域で出会った、二つの水辺の風景をご紹介しましょう。 飛鳥では、昭和中頃に吉野川から水を引く用水路が完成するまで、水不足に悩まされてきました。江戸・明治時代には貴重な水をめぐって村どうしがたびたび衝突と調停を繰り返すなかで、さまざまな水の使用ルール(水利慣行)が定められました。

 橿原市南浦町の法然寺西側の堰にはそうした歴史が刻まれています【写真2】。このあたりは小字(こあざ)地名で「ナガレ」や「水分」といい、周辺の発掘調査によると藤原京造営以前から川が流れていました。【写真2】左側の水路は橿原市下八釣(しもやつり)町に、右側の水路は同市木之本町に流れていきます。江戸時代の水争いに関わって作られた古地図には、両方の水路の幅の比率が記されています。古地図では左側の下八釣に至る水路が「三分」、右側の木之本に至る水路が「七分」となっています。現在も写真で水が流れ落ちている部分の比率はおおよそ3:7になっています。

 また左側の下八釣町に至る水路では、流れる水が少なくなると底から四角い石材が姿を現します。天面には「木元堰天場/標準定石」と刻まれており、この石は水量を図る指標となってきたと思われます。長い歴史のなかで積み上げられた農業用水の使い方が、景観に刻み付けられている良い例です。

 もう一つは、本年度に飛鳥資料館で開催した写真コンテストの受賞作品から紹介します。【写真3】は飛鳥川上流域の明日香村大字稲渕で撮影されました。奥飛鳥と呼ばれる稲渕や栢森などでは飛鳥川沿いに洗い場が設けられており、これらの一部は重要文化的景観「奥飛鳥の文化的景観」の重要な構成要素にも選ばれています。受賞作品に写る飛鳥川の飛び石も重要な構成要素に選ばれていますが、それは洗い場としてではなく、あくまで『万葉集』に詠まれた石橋を想起させる歴史遺産として、です。ところが、【写真3】ではまさしく洗い場として、田植え後に稲の育苗箱の泥を流すのに使われています。

 撮影者によれば、育苗箱を川上にほうり投げ、流れて来るところを飛び石で絡めとりながら洗っていたそうです。よく見ると写真にも川の中を流れる育苗箱が一つ写っています。古代に由来を持つ飛び石という歴史遺産と、農家の生業が溶け込んで風景を形作っている、飛鳥ならではの一枚といえるでしょう。

 このような水路をめぐる歴史や生活はどこにでもあるようで、どこもそれぞれ個性的です。みなさんのまちを流れる水路にも、唯一無二の地域の魅力が潜んでいるかもしれません。

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【写真1】鳥取県智頭町芦津のイトバ

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【写真2】近世からの水利慣行が続く水路(北から)
写真左側の水路は橿原市下八釣町に、右側の水路は木之本町へと流れる。

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【写真3】沼田邦雄「ベストポジション」(飛鳥資料館第14回写真コンテスト「飛鳥のくらし」受賞作品)

(飛鳥資料館研究員 竹内 祥一朗)

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