2024年5月
近鉄大和西大寺駅の南口を出て西に進むと真言律宗総本山西大寺がみえてきます。この寺院は奈良時代の称徳(しょうとく)天皇が建てた勅願寺で、その寺域は東大寺に匹敵するほどの規模を誇りました。しかし、時を経た現在では創建当時の1/10ほどの広さとなっています。現西大寺境内の周辺は住宅地となっていますが、その町の中に創建時の西大寺を偲ぶ場所がいくつかありますのでご紹介していきましょう。
西大寺金堂院跡は、現境内の北にあります。奈良時代、西大寺には薬師金堂と弥勒金堂がありました。水利組合公民館の北東に田んぼがあります。田んぼの北にある赤い屋根の建物の下が弥勒金堂跡、田んぼの南には薬師金堂跡、田んぼは弥勒金堂前の中庭に当たります(図1)。この2つの金堂を回廊が取り囲んでいました。これらの遺跡は近年の発掘調査で確認しています。
現境内南門前の道路を西に向かうと鳥居がみえます。その奥にたたずむ八幡神社は西大寺の鎮守社で、文献の記録から平安時代に存在していたことはあきらかです。現在の社殿は永禄9年(1566)の建物で国の重要文化財に指定されています(写真1)。有名な大茶盛式(おおちゃもりしき)※の始まりの地でもあります。
鳥居前の南北道路は、奈良時代の平城京右京にあった西三坊大路を踏襲しています。この道を北上し野神神社の手前の道を左折した奥に野神緑地公園があります。この場所は鋳物師池(いもじいけ)の伝承地です(写真2)。鋳物師池は称徳天皇が誓願した青銅の四天王像を造ったとされる場所で、実際、この付近で奈良時代の鋳造遺跡が見つかりました。四天王像製作地候補の一つです。
西三坊大路に当たる道をさらに北上し交差点を左折すると、平城京一条北大路に沿った道路になります。この道路を西に向かうと伏見中学校がみえてきます。学校の道路を挟んだ北側に国史跡の伝称徳天皇御山荘跡があります。ここは称徳天皇が利用した離宮跡とされているところで、現在は鬱蒼とした森の中に小さな池と中島が残っています(写真3)。かつて池北側の平地を発掘したところ、奈良時代後半の建物跡が出てきました。御山荘の候補地となっています。
最後に、伝御山荘跡から一条北大路沿いの道路を東に向かってしばらく歩き、小さな踏み切りを北に渡ると十五所神社があります。鎌倉時代の西大寺敷地図には十五所明神と書かれています。本来は金堂院の真北にあり多くの社殿が並んでいた広い敷地でしたが、今の社殿はその西端に位置し、地元の方々が管理する神社となっています(写真4)。
現西大寺境内の周囲には、往時の西大寺を彷彿とさせる建物や遺跡が残っています。詳しくは「なぶんけんチャンネル」の動画で紹介しています。実際に歩いて訪れることで、奈良時代の西大寺の規模を実感し、創建期の大伽藍を思い描くことができると思います。ぜひ現地へ足を運んでみてください。
※大茶盛式とは毎年4月第2土日と10月第2日曜に開催している儀式。鎌倉時代に西大寺復興に尽力した叡尊上人が復興のお礼に八幡神社に献上したお茶を民衆にも振る舞ったことからはじまった。
図1 西大寺遺跡めぐり地図
写真1 八幡神社社殿
写真2 鋳物師池跡
写真3 伝称徳天皇御山荘跡
写真4 十五所神社鳥居
(都城発掘調査部副部長 今井 晃樹)