なぶんけんブログ|奈良文化財研究所に関する様々な情報を発信します。

藤原宮の幢幡遺構を読み解く

2017年3月 

 2016年夏、藤原宮大極殿院の南門の前から、大宝元年(701)の元日朝賀の儀式で立てられた7本の幢幡(どうばん)の遺構が見つかりました。『続日本紀』はその儀式の様子を次のように伝えています。

 「天皇、大極殿に御(おは)しまして朝(ちょう)を受けたまふ。その儀、正門に烏形(うけい)の幢(はた)を樹(た)つ。左は日像・青竜・朱雀の幡(はた)、右は月像・玄武・白虎の幡なり。蕃夷の使者、左右に陳列す。文物の儀、是(ここ)に備れり。」

 正門とは大極殿院の南門のこと。その前に7本の幢幡(どうばん)を立てならべ、盛大に元日朝賀の儀式がおこなわれました。「文物の儀、是に備れり」とは、法律や儀式をはじめとする諸制度と、官僚機構や行政組織などの国家統治のシステムが整ったことを誇示する表現で、大宝元年の元日朝賀は、律令国家の完成を慶祝する式典でもありました。

図1.jpg その儀式を荘厳した7本の幢幡の具体的な姿は、平安時代の儀式の様子を描いた『文安御即位調度図』(図1)によって知ることができます。しかし調度図の幢幡は、日像幢の左に四神の朱雀旗、次に蒼(青)龍旗、月像幢の右に白虎旗、その次に玄武旗が描かれており、『続日本紀』に記された四神幡の配列とは微妙に順序が異なります。両者の違い は、従前から研究者によって指摘されていましたが、その原因が今回の発掘調査で明らかになりました。藤原宮の幢幡遺構の特異な配列は、当時の世界観である陰陽五行思想を色濃く反映しているのです。今、富本銭の七曜文(図3)を参考に幢幡の配置を読み解くと、以下のようになります。  

 陰陽五行思想は、混沌から陽と陰が分離して天地が形成され、その間に生じた木・火・土・金・水の五気が作用して万物を生成したと考えます。これを図像化したのが両儀四象生成図の七曜文(図2)で、上に陽儀(天・日)、下に陰儀(地・月)を置き、その間に木・火・土・金・水の五気をサイコロの5の目状に配置して、陰陽が調和し五行が順序正しく循環する理想の姿を表現しています。藤原宮の7本の幢幡は、日・月像と四神、すなわち両儀四象生成図の七曜を地上に投影し、陰陽五行の調和を願う儀仗旗でした。

表1図2図3.jpg  

 この幢幡を大極殿に出御した天皇から見てみましょう。「天子南面す」と言われるように、朝庭に列立する百官に天皇は北側から臨むので、天皇が七曜文の陰儀(地・北)側に、臣下が陽儀(天・南)側に位置することになります。そこで陰儀(北)側から七曜文を見ると(図5)、天皇の左側が東、右側が西となり、古代では左が右よりも優位なので、天皇に最も近いのは北東(木・春)ということになります。これは五行配当表(表1)に見るように四神の青竜にあたります。そこで青竜が最も先に書かれ、続いて南東(火・夏)の朱雀、右に移って手前の北西(水・冬)の玄武、次に南西(金・秋)の白虎の順に書かれたのです。この表記法は、都城の条坊街区の地番表示にも共通する原則です。このように、東西に長い方形の四隅に配置された四神幡は、北東を起点として時計回りに木火金水、季節では春夏秋冬、方位では東南西北の順に配されたことがわかります。これによって『続日本紀』の四神幡に関する記述が、正しく事実を伝えていたことが判明しました。

 ここで注目してほしいのは、日本の国技とされる大相撲の吊屋根(つりやね)の四隅を飾る房の色です。北東に青房(木・青竜)、南東に赤房(火・朱雀)、南西に白房(金・白虎)、北西に黒房(水・玄武)が配され、藤原宮の四神幡と同じ配置をとっています。これはかつて土俵に屋根が架かっており、その屋根を支える4本柱に四神を表す4色の布が巻かれていたことに由来すると言われています。また大相撲の正面が北であることにも注意を払う必要があるでしょう。現在の大相撲の世界にも、藤原宮の幢幡配置に見られた陰陽五行思想が強く息づいているのです。

 次に陰陽の二気と、七曜文の中央に位置する「土」にも触れておきましょう。陰は月(地)、陽は日(天)を意味します。七曜文では陰陽は中軸の上下に配置されますが、藤原宮の中軸線は天皇の玉座(高御座(たかみくら))がある場所です。そこで中軸を避けて、日像を日の出の方角である東に、対する月像を西に配置しました。これは高松塚古墳やキトラ古墳壁画の日月像の配置と同じ発想です。

 最後に「土」ですが、土は五行の配当表によると、方位は中央、動物は黄麟、色は皇帝の黄色にあたるとされます。大宝元年の中央の幢幡は烏形の幢と記され、発掘遺構の中では唯一藤原宮の中軸線上にあって、7本の幢幡の中では最も臣下に近い南端に位置しています(図4)。この烏形の幢、文安御即位調度図では3本足の銅烏幢とされていますが、平安時代の史料にはこれを八咫烏(やたがらす)と記したものや、太陽を象徴する三足烏(さんそくう)としたものがあり、今も解釈が定まりません。7本の幢幡の中では最も重要な幢ですが、この烏形の幢が一体何を象徴するのか...。ぜひ皆さんもこの謎解きに挑戦してみませんか。

図4図5.jpg

(所長 松村 恵司)

月別 アーカイブ