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瓦はお寺の履歴書

2016年5月 

 寺院や宮殿の遺跡を発掘すると、時期が異なる瓦が多く出土する場面に出合うことがたびたびあります。寺院をはじめ、瓦葺の建物は長い年月にわたって建っていたものが多く、修理などにともなって瓦も葺き替えられました。ところが、壊れない限り多くの瓦は再利用されるため、結果として新旧おりまぜた瓦が一緒に屋根を飾ることになります。

 古代の瓦が今でも屋根に載っている有名な例として、奈良市の元興寺があります。もっとも古い瓦は飛鳥時代のものです。元興寺は平城京に都が遷った奈良時代に飛鳥寺から移建され、瓦が運ばれたと考えられています。飛鳥時代や奈良時代のほかにも、修理がおこなわれた鎌倉時代、建物が現在地に移築された室町時代、そして現代の修理に際して復刻された古代風の瓦を並べて見ることができます。まさしくお寺の履歴を、瓦が語っているのです。

 また、飛鳥寺で出土した瓦は創建からさらに80年ほどたったのちの軒瓦が最も多く、大規模な整備や修理がおこなわれたことがわかります。飛鳥の山田寺や川原寺では、鎌倉時代や室町時代の瓦が多数出土しており、古代の建物が失われたのちの再興期にあたるものと考えられています。発掘調査で出土した新旧の瓦の種類や量によって、長い年月の間にどの程度修理や整備がおこなわれたか、時には新たに建物が建てられたかを知ることができるのです。

 以上のような事例は、多くが軒瓦の文様の分析により明らかにされてきました。山田寺では、軒瓦の文様に関して、興味深いことが明らかになっています。山田寺で出土した軒瓦の9割以上は山田寺式と呼ばれる文様で、きわめて統一感があります。しかし山田寺は軒瓦の文様の変化が著しい飛鳥時代にあって、中断を挟んで実に40年以上の長い時間をかけて完成しました。複数種類の文様の瓦が用いられていてもおかしくありません。そこで細かい文様の違いと製作技術を調べたところ、年代に差があることが明らかになりました。軒瓦の文様は型押しにより造形されますが、新しい軒瓦も造営開始当初と同じ古い型を使ったり、同じ古いデザインで新たに型を作ったりしたのです。完成後、修理の際に新調された瓦の中にも造営開始以来の型で作られたものがあるほどです。寺院の建設から維持管理まで、瓦作りが深くかかわってこそみられる現象です。山田寺については、軒瓦の文様に製作技術の分析も絡めることで寺院の履歴の一端が明らかになった事例です。

 このように瓦は寺院が造られた時代や背景のほか、寺院自体の歴史を今に伝えてくれます。先に瓦の種類とともに量も重要であることをお話ししましたが、発掘調査で出土する瓦の量は膨大なものです。日々の整理作業ではどんな小さなかけらでも記録にとどめ、細かな製作技術まで観察して分類・集計し、瓦からみた寺院をはじめとする遺跡の「履歴書作り」に努めています。

 

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さまざまな時期の軒瓦(檜隈寺)

 

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各時代の瓦がのる元興寺の屋根

(都城発掘調査部アソシエイトフェロー 山本 亮)

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