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藤原宮大極殿院南門前幢幡遺構の配置について

2019年9月

 2016年に藤原宮大極殿院南門前で発見された7本の幢幡遺構についてはこのコラムでも以前に取り上げられてきました(2017年3月、2018年11月、2019年4月)。大宝元年(701)元日の朝賀の時に烏形幢、日像幢、月像幢、青龍幡、朱雀幡、白虎幡、玄武幡を立てたと考えられる柱穴の跡です。

 翌年の発掘調査報告(『奈文研紀要2017』「藤原宮朝堂院の調査―第189次」)によると、南門(梁行7間、桁行2間、17尺等間に想定できます)との位置関係については、烏形幢は南北中軸線上、南門南階段下から70尺南、日像幢・月像幢は東西に80尺離れて南門南階段下から40尺南の位置に配置し、四神幡は南門東西の両妻柱列に合わせた位置で、青龍幡・玄武幡は南門の南側柱列心から南へ45尺、朱雀幡・白虎幡は南側柱列心から南へ65尺に配置したと考えられています。中央の幢の位置は大極殿の南階段下から測り、両端の幡は門の妻柱列に揃えることは平安時代の『延喜式』にも共通し整合的です。ただ、中央3本の幢と四神幡では測り出す南門の場所が異なることが気になりました。

 この門は天皇出御の門であり、藤原宮の中心であり、藤原京の中心、いや天下の中心に位置します。中心性の高い門ですから、その建物の中心が基準となって7つの柱想定位置が決まっているのではないかと思い調べてみました。

 これらの遺構は比較的大きな柱据え付け穴ですが、断ち割り調査も多く行っており、抜き取り穴も明確で、柱があった位置を推定することができました。表1にその位置を座標で記しました。次に推定される南門の中心から七つの柱想定位置までの距離(m)と、その距離が1尺=0.295mで何尺に当たるかを示しました。その右に私が考えた想定計画尺を記し、それらとの差を誤差と呼んで、さらにその右には誤差も記しました。施工誤差を2.37尺まで許容すると七本の幢幡の位置は門の中心を基準に配置されていた可能性が浮上してきました。

 図1を見てください。日像幢・月像幢は門心から80尺、双方の距離も80尺で正三角形となり、南北中軸線を想定すると片側は40尺基準の1:2:√3の直角三角形で配置されていたことになります。

 青龍幡・玄武幡は門心から60√2尺、双方の距離は120尺、南北中軸線を想定すると片側は60尺基準の1:1:√2の直角三角形で配置されていたことになります。

 朱雀幡・白虎幡は門心から100尺、双方の距離は120尺、南北中軸線を想定すると片側は60尺、80尺、100尺、つまり20尺基準の3:4:5の直角三角形で配置されていたことになります。

 烏形幢と日像幢・月像幢のなす三角形を南北中軸線で東西に分割して考えると、30尺、40尺、50尺の三角形をなすため10尺基準の3:4:5の直角三角形となり、門心からの烏形幢の位置は40√2(日像幢・月像幢(の中点)までの南北距離)+30尺として説明できることになります。

 7本の幢幡の位置は1:1:√2、1:2:√3、3:4:5という特異な直角三角形の組み合わせで配置されていた可能性が指摘できるのです。ただし、施工誤差を2.37尺までみて大きくないか、実際にどのように施工したかなど今後の検討も必要になると思っています。

 大極殿院南門の門心は天下の中心、天空にあっては天の中心であって、易の思想では太極に擬えたのではないでしょうか。日像幢・月像幢とは正三角形をつくってどちらにも偏らない陰陽の調和を表現しているように思います。表の右端には北から時計回りに測った方位を示しましたが、日の動きに従い幢幡を見れば、青龍(木)→朱雀(火)→烏形(土)→白虎(金)→玄武(水)となって五行相生の順を示し、五行が規則正しく循環することになります。天下の中心で陰陽の調和と五行の循環があまねく国中に広がると認識されていたのかもしれません。

 

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表1 藤原宮大極殿院南門前の幢幡遺構の配置

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図1 大極殿院南門と幢幡遺構の位置関係(『奈文研紀要2017』p.98の図に加筆)

参考文献 拙稿「藤原宮朝堂院朝庭における幢幡遺構の配置と設計思想」『ランドスケープ研究』2018日本造園学会pp.449-454

(文化遺産部遺跡整備研究室長 内田 和伸

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